「平和・連帯の旅」その④、あこがれの桂林の風景を堪能

19.10.25

 治安維持法国賠同盟の「平和・連帯の旅」、最終日(18日)の桂林の報告が残っていました。

 山水画に描かれる桂林の風景にあこがれて、どれくらいの年月が経ったでしょうか。今回ようやく、訪れることができました。

 観光船での漓江下り。なんと所要時間が4時間半というから驚きです。船内は指定席。そこで昼食も出るのだとか。
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 落ち着いたら、3階のデッキへ。うすら寒いくらいのお天気でしたが、山水画の世界を味わうには、快晴よりこれくらいのほうがいいのだ、とのことでした。デッキで早速、記念撮影です。
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 観光船の上で団体の記念撮影というのも、珍しいとは思いましたが、百戦錬磨の治安維持法国賠同盟の仲間に、怖いものはありません。
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 一行のなかに、数年前にベトナム旅行で一緒だったIさんがいました。市民ランナーで、検見川の東大グランドに練習に来ていたとかで、私のポスターもよく見ていたとのことです。
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 佳境にさしかかると、デッキは国際色豊かなカメラマンでにぎやかです。
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 20元の中国紙幣の裏側に印刷されているのが、この桂林の風景。ここだと思うところでシャッターを切りましたが、どうでしょうか。
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 長い長い遊覧を終えて、陽朔埠頭というところで下船。そこの商店街を散策しました。おいしそうなものやどこにでもありそうな安いおもちゃも並んでいます。驚いたのは、ムカデを串にさして油で揚げたようなものが売ってました。やっぱりだれも買いませんでした。
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 桂林市内のホテルに戻り、最後の晩餐は、ホテルのなかで。ここでも大阪府本部のSさんが、プロ顔負けの司会で絶妙なリード。全員が感想を述べあい、その合間にSさんの奥さんのオカリナの伴奏で歌い、添乗員のTさんやガイドの耿さんに感謝をささげ、最後は「ガンバロー」の大合唱でした。
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 終わってみれば、あっという間の旅でしたが、知らなかった大事なことを学び、あこがれの風景を楽しみ、なにより同行の仲間たちとの親交を大いに深めることができました。
それにしても、かなりハードな日程にもかかわらず、全員が元気に帰国出来ました。お世話になりました。

日本共産党千葉県後援会の代表委員会

19.10.24

 今日は、日本共産党千葉県後援会の代表委員会。少し早めに到着すると、日本共産党千葉県委員会の館内に聞きなれた声が響いています。

 そういえばと思って、会議室を覗いてみると、「生活相談活動講座・交流会」の横断幕。講師を務めていたのは、わが花見川区の中村きみえ千葉市議でした。

 「相談者が連絡をしてくるときは、悩んで苦しんで切羽詰まって連絡してくるんです。だから、『忙しいから』などとこちら側の都合を優先してはダメなんです。」そんな言葉が耳に飛び込んできました。どんなに忙しい時でも、身を粉にして相談の対応に走り回っている中村議員ならではの言葉です。
DSC03311 (2).JPG   写真   講義する中村きみえ市議
 さて、千葉県後援会の代表委員会。例によって、会長の私にあいさつの指名。議題は当然、目前に迫った「2019年度総会」についての最終確認です。事務局長の小松敦さんの進行で、当日の流れ、議案の確認、会計報告や参加の確認、役割分担などなど、審議が進みます。

 当日は、先進的な後援会活動を展開している埼玉県から、事務局長の酒井隆三さんをお招きして、特別報告もしていただきます。大いに学びたいと思います。また、毎年取り組んでいる「前進座・観劇の集い」の関係で、今回は、前進座の俳優・河原崎國太郎さんがご挨拶をされます。

 千葉県後援会の活動は、まだまだの感がありますが、来年1月の党大会を前に、また総選挙を控え、日本共産党の前進のために、また野党の「連合政権」をめざす段階に到達している「市民と野党の共闘」のいっそうの前進のために、力を発揮できる後援会へと発展させたいものです。

治安維持法国賠同盟銚子支部の総会

19.10.23


 今日は、治安維持法国賠同盟銚子支部の第2回総会。はるばる房総半島の東端まで、旅行気分で出かけました。

 総会に先立って、「日韓問題を考えるつどい」です。支部長の三浦真清さんがまずごあいさつ。すぐに、講演に入りました。
DSC03290 (2).JPG   写真   あいさつする三浦真清支部長(左)
 先月、地元の集いで使ったレジュメをそのまま流用。初めに「徴用工問題」について、「日韓請求権協定」でも「個人の請求権」は消滅していないこと、訴えられた企業側の和解への動きを政府が抑えつけてきたこと、などを関係者の発言で確認しました。

 続いて、日本政府が、とりわけ安倍政権がそうした態度をとる背景に侵略と植民地支配への無反省、歴史修正主義があるとして、「韓国併合」への道を、江華島事件から日清、日露の戦争とたどり、植民地下の朝鮮支配の実態について、憲兵警察に象徴される「武断政治」、民族の誇りを奪った「皇民化政策」、さらに労働動員・強制連行、慰安婦問題などについて、お話ししました。
DSC03308 (2).JPG   写真   講演する小松実(右)
 こうした負の歴史を正面から受け止め、本気の謝罪・賠償をしてこそ、憲法の前文にあるように「国際社会において名誉ある地位を占め」る第一歩を踏み出すことになるのに、敗戦直後から「鉄道や港が築かれた。いい部面もあった。」などとするいわゆる「植民地支配美化論」が横行し続けてきた歴史にも触れました。ドイツのシュタインマイヤー大統領が今年9月、ヒトラーのポーランド侵攻80年の式典に出席して「ドイツの暴虐によるポーランドの犠牲者に深くこうべをたれる。許しを請う。」と謝罪したことにも触れ、日本政府がこうした真摯な態度を取ることができたら、問題は一気に解決するはずだと強調し、政治を変えることの重要性を訴えました。

 与えられた1時間を少しオーバーしましたが、その後、質問や意見交換。「こういう学習、意見交換の場が大事だ」と、三浦支部長さんのまとめの言葉です。

 その後の総会では、500筆の国会請願署名、新たに10人の会員拡大、県本部が発行する「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」の20部普及、飯島喜美の地元・旭市で玉川寛治さん、藤田廣登さんを招いての講演会を開きたい、などが提起され、了承されました。会員から「支部のニュースを発行して、活動の様子を知らせてほしい」との要望が出され、三浦支部長が実現を約束しました。

 発足して1年。銚子支部の着実な歩みに敬意を表したいと思います。

治安維持法国賠同盟が忙しい

19.10.22


 昨日は、治安維持法国賠同盟千葉市支部の役員会。

 会員拡大や国会請願署名の到達状況などを確認。また、同盟千葉県本部理事でもある藤田廣登さんの「時代の証言者 伊藤千代子」を原作とする劇映画「伊藤千代子の生涯」(2020年12月完成予定)の上映債権(1口10万円)を購入し、制作支援と上映会成功をめざして活動することなどを決めました。

 今日は、同盟千葉県本部の理事会。

 やはり県本部理事でもある玉川寛治さんの「飯島喜美の不屈の青春」に続く、同盟千葉県本部の出版物・土井洋彦さん(日本共産党中央委員会幹部会委員、学術・文化委員会責任者)の「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」が、いよいよ発行にこぎつけたこと。11月4日の「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会にはお披露目ができる運びで、大いに普及をめざそうということなどを決めました。
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 明日は、同盟銚子支部の総会。

 総会に先立って、「日韓問題を考える」ということで、1時間ほど講演をすることになっています。日韓問題を研究してきたわけではないし、もちろん専門家ではないのですが、この間、地元の集いなどでお話ししてきたのが目にとまり、お呼びがかかりました。総会では、県本部会長としての来賓あいさつも要請されています。一人二役で、頑張ってこようと思います。
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 このところ連日、国賠同盟の仕事が続きますが、明後日は、日本共産党千葉県後援会の代表委員会。こちらも、29日の総会を控えて、大事な会議になります。

「平和・連帯の旅」その③・731部隊の細菌戦の現場・常徳へ

19.10.21

 昨夜のうちにバスで常徳市へ移動。明けて16日、ホテル近くの弁護士事務所「湖南博集律師事務所」に向かいました。旧日本軍731部隊による細菌戦の被害を調査・研究している弁護士事務所です。

 事務所に入ると左手の壁いっぱいのスクリーンに「熱烈歓迎 治安維持法国家賠償要求同盟」の文字。
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 双方の代表のあいさつのあと、さっそく被害者・遺族の方々からの証言を聴きました。最初は、徐万智さん。1941年11月4日、徐さんの町に細菌弾が投下されました。徐さんは当時、まだ赤ん坊。家族や知り合いから、当時の悲惨な状況を何度も聞かされて育ったのでしょう。

 その日、日本軍の飛行機が徐さんたちの町の上空を2回ほど旋回。爆撃はなく、細かな布のようなものを撒いていったといいます。その後、市民の間に、原因不明の病が流行り出します。当局からは、死体を火葬するように指示が出たといいますが、当時は土葬の習慣が根強く、したがって郊外にも病気は広がっていくことになりました。
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 2年後、徐さんの父親も感染。原因がわからず、対応策もなかったといいます。高熱を発し、のどの渇きを訴え、やがて意識を失い死亡しました。おじやいとこも同様に、鼻や口から出血して亡くなりました。兄も、看病していた祖母も感染し、死亡。徐さん自身も感染しましたが、看る人もなく、叔父の家に引き取られたそうです。

 淡々と話していた徐さんの声が一段と高くなり、涙を流し始めました。「日本政府は、事実を認めないし、謝罪もしていない。人間として、理解できない。」怒りの涙でした。「ぜひ、日本に帰って伝えてほしい。」徐さんの振り絞るような訴えでした。

 続いて報告に立ったのは、丁徳望さん。86歳だといいますから、当時は8歳から9歳だったのでしょう。自宅は、市内から50キロほど離れていたといいますが、父親が感染して亡くなりました。父親は、1942年9月、家族の結婚式に出席して感染、わずか3日後に亡くなったといいます。7人家族唯一の働き手で、40歳だったそうです。
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 丁さんは、2001年に訪日し、裁判で証言もしたといいます。判決では、7643人の被害者数を認めたものの、日本政府には、何らの動きもないといいます。「生きている限りたたかう」丁さんは、静かに決意を述べて結びました。

 さらに、易友喜さん。まだ56歳という若さですが、被害者の遺族で「常徳市日軍細菌戦受害者協会」の職員だとのことです。「協会」の本部が、この弁護士事務所のようです。易さんの祖父も、葬式に参列して感染、他の8人とともに亡くなったとのことです。
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 小柄ですが精悍な感じのする弁護士事務所の所長さんから、細菌戦被害の全体像などの説明がありました。「4/11朝目的方向ノ天候良好ノ報ニ接シ・・・○五三○出発 ○六五○到着 霧深シ・・・層雲アリシ為一○○○m以下ニテ実施ス(増田少佐操縦・・・20/11頃猛烈ナル『ペスト』流行、各戦区ヨリ衛生材料ヲ収集シアリ・・・」などと、細菌戦を報告する11月25日付の「井本日誌」なども紹介されました。
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 その後、場所を移して被害者のみなさんとともに昼食、懇親を深めました。徐さんの隣に座って、片言で、それでもほんの少しだけ意思が通じたのは、何ともうれしいことでした。
DSC03083 (2).JPG   写真   中央、帽子の人が徐さん
 昼食後は、感染による初の死者を看取り、それが「ペスト菌」によるものだと明らかにした「広徳医院」の跡(今は、立派な「常徳市救急センター」になっていました)や、日本軍と熾烈な戦闘を展開した国民党軍の「常徳会戦抗日記念碑」、今も残るトーチカを見学したりしました。
DSC03101 (2).JPG   写真   日本軍との熾烈な戦いをした国民党軍の記念碑
 731部隊については、その凄惨な人体実験や、戦後、その資料を米軍に提供することで罪を免れ、医学界で重きをなしていった人間たちのいたことは知っていましたが、実戦による被害の実態にふれたのは初めてでした。

 加害の歴史が、ほとんど知らされていないというのは、国際的な付き合いをしていくうえで、本当に恥ずかしいことだし、また、この国の平和と人権、民主主義を守り、育てていくうえで決定的な弱点になるものだと思います。知り、学び、伝えるその仕事に少しでも役立ちたい、そんな思いを強くしました。

南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウ「惨案遇難記念館」へ

19.10.20


 とにかく中国は広くてデカい。14日夕方、成田から約3時間半のフライトで上海へ。到着が現地時間の午後7時25分。時差は1時間。そこで、関西空港からの一行、中部国際空港からの一行と合流です。そこから21時40分発の飛行機で、約2時間、湖南省・長沙の空港に着いたのは、真夜中でした。

 翌朝、窓を開けて小雨に煙る街並みを見下ろしました。宿泊したホテルを含めて、立ち並ぶ高層ビル群は、5月の南京でも体験済み。慌ただしく支度を整え、最初の訪問先である旧日本軍による南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウの「惨案遇難記念館」へとバスで向かいました。移動時間がなんと3時間余。
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 記念館入口の看板には、「国家級」の文字。国レベルの施設であることがわかります。
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 入ると、すぐに「はじめに」と、日本語でも書かれた案内板がありました。「・・・中国侵略日本軍は、1943年5月9日から11日(に)かけ、国際条約を公然とやぶり、ショウコウ地区において武器を捨てた中国兵や非武装の民間人3万人余りをほしいままに虐殺した。また2千人以上の女性を強姦し、・・・」とあります。揚子江の水運を確保するための江南殲滅作戦といわれるもので、この地方の国民党軍を殲滅する過程で、民間人も無差別に虐殺したとのことです。
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 恥ずかしながら、この大量虐殺事件を今回訪問するまで、私は知りませんでした。しかし、旅行社が用意してくれた事前学習資料には、2015年2月1日から3日にかけて3回連続で、この現場を訪ねた小林拓也さんの記事が掲載されていました。多分、読んだのに記憶から抜けてしまったのでしょう。その記事にも、「農村で起きた事件で、南京と違い外国人の目撃者もなく、中国国内でもほとんど知られていませんでした。」とありました。

 展示を見ていくと、旧日本軍のあまりの残虐な行為に胸が締め付けられるような思いがしてきます。虐殺の様子を書いた日本兵の陣中日記もありました。しかし、救われたのは、しんぶん赤旗が「幸存者」から聞き取りをしたときの取材写真も展示されていたことです。そして、「あっ!」と驚きました。なんとそこに、わが県議団の事務局で働いていた“あっこちゃん”が写っているではありませんか。左の写真には、聞き取りをするご主人の小林拓也さん、そして、右側の写真の左側に、ポニーテールのあっこちゃん。思わず「あっ、あっこちゃんだ!」と、大きな声を出しました。同行の人たちが「えっ、知ってる人?」
「どれどれ?」「どの人?」近づいてきました。あっこちゃんは、中国語の高度な通訳のための研修にきたご主人とともに中国へ渡っていました。こんなところで、元気なあっこちゃんの姿に出会うとは・・・。不思議な感動を味わいました。
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 展示の見学が終わると、館長さんや「幸存者」のみなさんとの交流です。「幸存者」の一人、1926年生まれの全さんは、村の人たちが、日本軍から逃れるために川に数百もの小舟を浮かべたとき、日本軍の飛行機が来襲して、爆弾と機関銃で次々と虐殺した目撃談を語りました。川は死体で埋まり、水は血で真っ赤になったと言います。記念館脇の川べりには、「血水河」と書いた碑が立っていました。
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 その後、記念館のすぐ近くにある記念塔に参拝。みんなで黄色い菊の花を献花しました。
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 続きは、また後日。

治安維持法国賠同盟の「平和・連帯の旅」に参加してきました

19.10.19


 治安維持法国賠同盟中央本部主催の「中国湖南省・桂林 平和・連帯の旅」に14日から参加し、先ほど帰ってきました。

 旧日本軍によって、南京大虐殺に次ぐ3万人もの大量虐殺が行われた廠コウ(パソコンでは、漢字が出てこない。ショウコウ)の記念館を訪問し、館長や「幸存者」(幸いにして生き残った方)から、直接、体験を聴いたり、また、同じ湖南省の常徳市にある弁護士事務所を訪問し、731部隊による細菌戦の被害者から体験談を聴いたり、交流を深めてきました。
DSC03035.JPG   写真   湖南省・ショウコウの虐殺記念館(「ショウコウ惨案遇難記念館」)前で
 最後の日には、あこがれの桂林を訪問。遊覧船で漓江(りこう)を下り、山水画に描かれた世界をたっぷり堪能してきました。

 6日間の旅ですが、往路と復路が、それぞれ一日がかりでしたので、実質4日間。それでも、侵略のおぞましい加害の実態を目の当たりにし、まだまだ日本では知られていない加害の事実・歴史をしっかりと学び、広げていく活動の重要性を再認識しました。

 そして、そうした活動に力を注ぐことも、侵略と加害の事実を認めようとせず、歴史の改ざんをもっぱらとする安倍政権と真っ向から対決する治安維持法国賠同盟のもう一つの重大な責務であろうかと思います。

 詳細は、追って報告したいと思います。