市原市・国分寺台地域後援会のトーク集会

 今日は、市原市の日本共産党国分寺台地域後援会にお招きを受けて、1時間弱、お話をしてきた。

 国分寺台地域の後援会は、「国分寺のひろば」という後援会ニュースを2か月に一度発行。千数百の世帯にお届けしているという。コロナで、年末恒例だという「のし餅作り」などの行事は中止せざるを得なかったとのことだが、今日の「ざっくばらんトーク」は、何とか実施にこぎつけたようだ。
DSC04966 (2).JPG   4ページ建ての後援会ニュース、表紙

 地域後援会、市原市後援会のそれぞれ会長さんのご挨拶の後、さっそく講演に入った。「菅政権をどう見るか」「『市民と野党の共闘』の勝利と党の躍進で『安倍・菅政治』からの転換を」「日本共産党の躍進がカギ」という柱でお話をさせてもらった。
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 最初の菅政権の二つの立場=「安倍政治の継承・発展」と「『自助』で『小さな政府』『個人責任』の強調」、さらには、「早くも露呈した危険な中身」ということで「学術会議会員任命拒否問題」の話で時間を使いすぎて、あとは少し走り気味。言葉足らずの話になったのではないかと、反省しきりだった。
DSC04962 (2).JPG   小松実

 休憩の後は、地元の加藤和夫市議による市政報告。コロナ対策や災害対策、市原市に児童相談所を、など身近で切実な要求を取り上げて奮闘する市議団の姿が報告された。
DSC04965 (2).JPG   市政報告をする加藤和夫市原市議

 演台を飾っていたお花やお菓子、自宅の庭で採れたというゆずなど、お土産をたくさんいただいた。大渋滞で予定の倍以上の時間をかけて帰ってきたが、しばらくすると、主催者の方からお礼の電話が入った。ずいぶん丁寧な対応で恐縮した。

 来月は、同じ市原市の五所という地域で、同じような取り組みがある。今度は、「日本共産党の未来社会論」という、今回とはまったく違うテーマ。せっかくお集まりいただくみなさんに、それなりに満足していただけるようきちんと準備をして臨みたい。

「市民アクション花見川」が19日行動

 今日は19日。2015年の9月19日、国民の圧倒的な反対の声を押しつぶして安倍政権が「戦争法」を強行した。以来この19日に、9条改憲阻止の行動が全国で取り組まれてきた。今日も、「市民アクション花見川」のメンバーが12人、JR新検見川駅に参集。「改憲発議に反対する全国緊急署名」に取り組んだ。
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 例によって、交替でマイクを握り訴える。もう何年も取り組んでいることなので、新しい署名であることを強調しながら、とりわけ菅政権の日本学術会議会員任命拒否の問題が、戦前の「京都帝大滝川事件」に酷似していること、政府の意向に逆らったり、戦争に反対したりしたことや、さらには大学の自治や学術会議の独立性を侵す違法を強権で押し通そうとしている点で、二つの事件に共通性があると訴えた。
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 滝川事件とは、京都帝大の滝川教授が、治安維持法の緊急勅令による改悪に反対したり、「満州事変」を批判したりしたことで、当時の文部大臣から休職させられた事件。京都帝大の法学部の全教官が抗議の辞職をした。1933年、小林多喜二が築地署で拷問により虐殺された3か月後のことだ。
DSC04938 (2).JPG   訴える日本共産党の中村きみえ市議

 続いて、1935年、今度は「天皇機関説」で、美濃部達吉教授が弾圧を受ける。翌36年には「2.26事件」。そして翌年「盧溝橋事件」を契機に、日本は中国に対する全面戦争に突入していく。滝川事件は、戦争と暗黒政治への重大な一歩だった。

 学問と科学が、時の権力に支配され、従属させられることがいかに危険で不幸なことか、戦前の歴史が教えている。だからこそ、現憲法には、「学問の自由は、これを保障する」とわざわざ規定された。そして、その理念から「日本学術会議」が設立された。政府が間違いを犯したときに、あるいは犯しそうになったときに、文字通り学問と科学の立場から、毅然とした提言を発し、それを正すことができるように。だから、政府からの高い独立性が与えられてきた。
DSC04943 (2).JPG   順番で私もマイクを握った

 「日本学術会議」は、したがって繰り返し、「戦争を目的とする科学の研究」「軍事目的のための科学研究」を行なわないことを明らかにし、2017年にも、「軍事的安全保障の研究に関する声明」を発表した。これが安倍政権から菅政権に至るいわば日本会議系内閣のもっとも憎むべき対象となる。なかでも、旗幟鮮明の6人を学術会議から外したかったに違いない。
DSC04944 (2).JPG   訴える日本共産党の寺尾さとし前県議

 足が止まり、対話が始まる。暗くなった駅前で、それでも署名にペンを走らせてくれる。一時間ほどの宣伝だったが、18筆の署名が寄せられた。こうした地道な活動が、改憲を阻止してきたし、これからも阻止していくことになる。

治安維持法国賠同盟県本部理事会や19日行動のお知らせ

 今日は、治安維持法国賠同盟千葉県本部の理事会。多岐にわたる議案が審議されたが、中心の一つは、やはり会員の拡大。先月も4人の新規会員を迎えたものの、退会が4人あり、結局、現状維持にとどまった。
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 何とか勢いをつけようと、理事会後に知り合いの弁護士さんなどに声をかけ、入会していただくことになった。他にも、千葉市支部のHさんが、地元の方に入会していただいたと報告があった。

 帰ってくると、「安倍9条改憲NO!市民アクション花見川」の「ニュースレター」が届いていた。今月の19日行動をお知らせするチラシだ。

 裏面には、昨日の「しんぶん赤旗」で報じられた日本共産党・藤野保史衆議院議員の学術会議会員任命拒否の質問=「任命拒否 滝川事件とそっくり」「衆院法務委 藤野議員『言論弾圧の政治に未来はない』」(見出し)を簡潔にわかりやすくまとめたものが掲載されている。
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 木更津駐屯地に暫定配備されたオスプレイの問題も掲載されている。木更津から習志野基地へと飛来するルートは、東京湾から花見川に沿って内陸へと入ってくる。ちょうど、私たちの花見川区の上空を飛ぶことになる。

 今でさえ、習志野基地から東京湾へ出る、あるいは逆に入ってくるヘリコプターの騒音に悩まされている。これにオスプレイが加わったらと思うとぞっとする。自衛隊の17機に加え、横田基地の10機、沖縄海兵隊の24機、合わせて50機以上のオスプレイの整備が木更津駐屯地で行われる。そのための整備格納庫が増設され、整備能力は3倍に強化される。しかも、暫定とは言うものの恒久配備になりかねない。首都圏の空をオスプレイがわがもの顔で飛び回ることになる。

 19日(木)午後5時から6時、JR新検見川駅南口で取り組まれる宣伝行動に、ぜひご参加を!

学術会議会員任命拒否と滝川事件


 11月13日の衆議院法務委員会で、日本共産党の藤野保史議員が、学術会議会員任命拒否は、戦前の「滝川事件」そっくりだと批判したと、今日のしんぶん赤旗が報じた。
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 「滝川事件」は、1933年5月、京都帝大の滝川幸辰(ゆきとき)教授を危険思想の持ち主として文部大臣が休職させた事件。これに抗議して法学部教官は全員が辞表を提出。小西京都帝大総長も6月に辞職した。小林多喜二が築地署で虐殺された3か月後のことだ。

 藤野氏は、第一に、滝川教授が治安維持法の緊急勅令による改悪を批判し、任命拒否された6人も戦争法や共謀罪に反対していたように政府の政策に批判的であったこと、第二に、滝川教授が「満州事変」に反対し、学術会議が、「軍事研究をしない」など、戦争目的の研究に協力しない立場を明らかにするなど、戦争に反対する邪魔な者たちを排除しようとしている点、第三に、その違法行為(滝川事件当時も教授などの人事は、総長からの報告を要した)を法解釈を捻じ曲げて「正当化」するという点で、危険な共通性があると厳しく断じた。

 滝川事件のあと、35年には「天皇機関説」で美濃部達吉が攻撃され、翌36年には「2.26事件」が引き起こされ、そして翌年7月の「盧溝橋事件」を契機に、日本は中国に対する全面侵略戦争へと突入していった。滝川事件は、戦争と暗黒政治への重大な一歩だった。

 だからこそ、いまの憲法23条には「学問の自由は、これを保障する」との規定が明記された。「学問の自由ないし学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、特に規定されたものである」(芦部信喜「憲法」)という。

学問や学者が弾圧され、戦争へと突き進んだ戦前のようなものが言えない社会、暗黒政治を再び許してはならない。

治安維持法国賠同盟が国会請願提出行動

 今日は、治安維持法国賠同盟の国会請願提出行動。毎年、通常国会開会中の5月ころに全国から200人近い仲間が集まって行っていたが、今年は新型コロナの影響でようやく今日、首都圏の都県本部の代表を中心にということで実施された。
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 臨時国会開会中の忙しいなか、日本共産党の井上哲参議院議員が駆けつけてくれ、激励のあいさつをいただいた。井上議員は、焦点になっている日本学術会議の問題に触れ、菅首相の言い分がすべて成り立たなくなっていることを具体的に指摘、かつて戦争遂行が唯一絶対の目標とされ、それに科学や学問が従わされ利用された痛苦の経験から学問の自由という原則が確立されたと述べた。したがってこの問題は、戦前・戦中、自由と民主主義、平和のためにたたかい、そのために過酷な弾圧を受けた人々への国による謝罪と賠償を求める治安維持法国賠同盟の活動と一体の課題を担っていると指摘、その要求実現ためにも、野党共闘による連合政権をと訴えた。
DSC04899 (2).JPG   あいさつする日本共産党の井上議員は哲参議院議員

 増本一彦中央本部会長のあいさつの後、駆け付けた立憲民主党の近藤昭一衆議院議員からも連帯のあいさつをいただいた。
DSC04905 (2).JPG   増本一彦中央本部会長

DSC04912 (2).JPG   立憲民主党の近藤昭一衆議院議員

 今回の請願行動には、劇映画「伊藤千代子の生涯」(仮題)の桂壮三郎監督も参加されていて、映画制作の見通しとともに、100人ほどになるスタッフ一人ひとりに治安維持法の話をしていきたいと語り、盛んな拍手を浴びた。
DSC04908 (2).JPG   あいさつする桂壮三郎監督

 田中幹夫中央本部事務局長からの請願行動の説明を受け、昼食。午後からは、各議員への要請行動。約70人の参加者が手分けして衆参の議員会館をめぐり、署名を手渡しながら、請願の紹介議員になってくれるよう依頼して歩いた。

 私たちのグループの担当は、第一議員会館の上層階だった。日本共産党の赤嶺政賢議員や本村伸子議員、宮本徹議員、さらには、立憲民主党の議員など、11議員の部屋を訪ねた。最後は、日本共産党の志位和夫委員長の部屋。出迎えてくれた秘書の浜田文さんに応対いただき、お茶までいただいた。記念に写真もお願いした。
DSC04916 (2).JPG   日本共産党志位和夫委員長の部屋で署名を託す。右は、秘書の浜田文さん。

 今日提出した署名数は、12万3千余。コロナ禍で、例年の6割ほどにとどまったが、千葉県を含め全国で、すでに来年の通常国会へ向けての新たな署名活動が始まっている。野党共闘の広がりのなかで、年々、紹介議員が増え、100人を大きく超えるようになっている。治安維持法による弾圧の歴史への謝罪と反省を生かす政治、政府を実現するためにも、さらなる奮闘が求められている。

多喜二「工場細胞」の舞台残してと市に要請

 今日の「しんぶん赤旗」に、北海道小樽市の小樽・多喜二祭実行委員会が、小樽運河沿いに残る北海製罐小樽工場第3倉庫の保存と北運河地域の再活用を求めて、市長への要請を行なったことが報じられた。同倉庫(工場)は、小林多喜二の小説「工場細胞」(1930年)の舞台となった製缶工場だ。
DSC04895 (2).JPG   11月10日付「しんぶん赤旗」

 記事には、小樽・多喜二祭実行委員会の共同代表・寺井勝男さんらが、「歴史的建造物は失ってからでは取り返しがつかない。小樽市が保存活用の方途を関係者や市民の英知と合意を集めて具体化し、併せて北運河地域の再生計画を具体化してほしい」と訴えたとある。

 市長は「北運河地区の活用は私の公約でもある。小樽観光にとって北運河を整備し回遊性を高めることは重要。拠点の一つ、第3倉庫の保存活用は望ましい。」と答えたという。

 先般、「伊藤千代子獄中最後の手紙を見る会&多喜二・野呂を訪ねる北海道ツアー」で、同地域を訪ねた。小樽の多喜二ゆかりの地を案内してくれたのが、寺井さんだった。宿泊したホテルは北運河のすぐ近くで、早朝、同倉庫の周辺を散策した。
DSC04785 (3).JPG   「工場細胞」の舞台となった北海製罐小樽工場

 「工場細胞」は、当時の近代的な大工場での共産党の細胞(現在の支部)の結成、活動と当時の経済恐慌を背景とする合理化のもとでの労働者、とりわけ女性労働者のたたかいを描いた作品だ。

 その続編ともいうべき「オルグ」が書かれた宿(神奈川県厚木市の七沢温泉「福元館」)も、今回の北海道ツアーでもご一緒した作家で神奈川の治安維持法国賠同盟員、蠣崎澄子さんの奮闘によって見いだされ、同盟の人々がその保存に尽力されてきた。
DSC08579.JPG   2018年9月、治安維持法国賠同盟関東ブロックの交流会が七沢温泉「福元館」で開かれた。多喜二が滞在して「オルグ」を仕上げた離れに座る千葉から参加した仲間たち。左から二人目は、日本共産党の衆議院千葉二区予定候補の寺尾さとしさん。

 地元の方々を中心としたこうした努力によって、多喜二の足跡が残されていく。貴重なことだと思う。

国立歴史民俗博物館「性差の日本史」を観てきた


 「時の流れに浮かんでは消える無数の事実を指す『歴』と、それを文字で記した『史』。日本列島の社会の長い歴史のなかで、『歴』として存在しながら『史』に記録されることの少なかった女性たち・・・」「『なぜ、男女で区分するようになったのか?』『男女の区分なかで人々はどう生きてきたのか?』」「ジェンダーが日本社会のなかでどんな意味を持ち、どう変化してきたのかを問う、歴史展示。」(国立歴史民俗博物館ホームページより)「性差の日本史」を観てきた。

 日本共産党千葉県中部地区委員会のジェンダー問題の委員会が主催したツアーだ。
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 「ジェンダーの成り立ちとその変化を明らかにする、初めての歴史展示」(同前)で、「女性の王や官僚が当たり前だった古代から、明治憲法体制下での完全な女性の排除、そして現代へ」ジェンダーの歴史を解き明かす画期的な企画展ということで、参加した。

 展示は、第1章の「古代社会の男女」から、第5章「分離から排除へ――近世・近代の政治空間とジェンダーの変容――」第6章「性の売買と社会」、そして最後の第7章「仕事とくらしのジェンダー――近代から現代へ――」と続く。
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 三々五々、それぞれの興味とペースで見学。見学後には、玄関前で記念撮影。その後、敷地内の芝生に陣取って、交流会が開かれた。交流会では何人かから、豊富な資料と解説で、「とても一日では観きれない」「また、来たい」という声があがった。

 一人ひとりが感想を述べることになって、私も指名された。自分が結婚するとき、どちらの姓を名乗るか、じゃんけんで決めた、私が負けて妻の姓・小松を名乗ることになったというエピソードを紹介。しかし、ジェンダーというのは、自分が意識していない部分に根強くはびこっていて、それをどう克服していくかが大きな課題だ、という趣旨の話をした。
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 個人的には、1948年(昭和23年)に労働省婦人少年局婦人労働課が発行した「男女同一労働同一賃金になれば」というポスターに引きつけられた。1948年といえば、私が生まれた年。その頃はまだ、政府が率先してこうした宣伝に努めていた。それから72年。男女の賃金格差は、依然として大きいままだ。

 企画展は、12月6日までだという。入場料は1000円だが、佐倉城址にある国立歴史民俗博物館は、駐車料も無料で、周辺の散策も楽しめる。こうした展示を理由に、国立歴史民俗博物館の研究員たちが「任命拒否」のような弾圧を受けることがないよう、博物館の予算が削られたりすることがないよう、私たちが目を光らせていかなければならない。