「赤旗」日曜版に「多喜二の見た小樽」

 1月24日付の「しんぶん赤旗」日曜版が届いた。その「たび」欄に、ツルシカズヒコさん(文)とパートナーのワタナベコウさん(イラスト)の記事「多喜二の見た小樽たどって」が掲載された。

 記事にもあるように治安維持法国賠同盟が企画したツアーだが、この旅に私も参加した。2泊3日のあわただしい旅だったが、感動と収穫は大きかった。「伊藤千代子の獄中最後の手紙を見る会」に参加するのが、旅のテーマの一つだったが、1000字足らずの紙面では、もちろんそこまでは紹介できない。

 記事は、私たちがたどった「多喜二の小樽」とその魅力を、実に見事にコンパクトに伝えている。
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 小樽文学館では、館長さんの特別のはからいで、通常は公開されていない石膏のデスマスクを見ることができた。当時、「北のウォール街」と称された日銀通りを歩き、多喜二が務めていた旧北海道拓殖銀行小樽支店を見た。

 翌朝の散歩で、「工場細胞」の舞台、北海製罐の工場も見た。小樽築港駅そばの多喜二の住居跡。多喜二はそこから、拓銀小樽支店に通った。そして、小林家の墓がある奥沢墓地。そこに多喜二の父と母、多喜二自身が眠っている。多喜二の文学碑がある旭展望台や恋人・タキさんとの逢瀬を楽しんだ水天宮。出身校の旧小樽高商(現・小樽商大)。

 たったこれだけの字数で、これだけの中身を魅力的に紹介する。至難の業だと思うし、やはりプロだと思う。もちろん、「市場でカニを買いました」なんていう告白付きのワタナベコウさんのイラストが、すばらしい。「なるほど、こういうルートだったのか」と、小樽の街とそれぞれの位置関係をわかりやすく教えてくれている。

 お二人にはお世話になりました。また、素晴らしい記事をありがとうございました。

県知事候補に「かなみつ(金光)理恵」さん、明るい会が発表

 3月に行われる千葉県知事選挙の候補者が決定した。今日、「憲法がいきる明るい千葉県をつくる会」(通称「明るい会」)の代表委員会が開かれ、その後の記者会見で発表された。

 かなみつ(金光)理恵さん。1963年、和歌山県の生まれ。立命館大学、お茶の水女子大学大学院で平安文学を研究。大学受験の予備校で古文の講師を28年間務めてきた。1980年代後半から「夫婦別姓選択制を進める会」の活動に携わり、2015年には「安保関連法に反対するママの会@ちば」結成に加わる。「安保法制違憲訴訟・女の会」の原告でもある。
DSC05090 (2).JPG      出来立ての名刺
 「明るい会」代表委員会は、前々回の知事候補だった代表委員の三輪定宣千葉大名誉教授の挨拶で始まり、本原康雄事務局長(千葉労連議長)が、経過報告。政策委員会での検討経過などにも触れた。
DSC05066 (2).JPG   冒頭、あいさつをする代表委員の三輪定宣千葉大名誉教授
 候補者として紹介されたかなみつ理恵さんは、「ここ数年、幕張メッセでの武器見本市開催など、平和の問題で森田県政と相対してきた。森田県政を引き継ぐ候補に負けるわけにはいかない。」「明るい会の政策が届けば、必ず共感してもらえるはず」と、元気に決意表明。「何よりも『命』を守るということを最優先にした県政に」と抱負の一端を語った。コロナ禍で命が脅かされる状況が続いているが、それだけでなく、性暴力などで「魂を殺されている人たちがいる。そうした人々を守ることも含めての『命を守る』ということだと強調した。
DSC05075 (2).JPG   決意・抱負を述べる知事候補のかなみつ理恵さん
 代表委員会では、「税金の使い方変えて『公助』こそ最優先の県政に――豊かに安心して住み続けられる千葉県に大きく転換――」と題する「基本政策骨子」も確認された。

 「基本政策骨子」は、「はじめに」で、「県政の最優先の課題は、県民のいのちとくらし、安全を守ること」全国4位の財政力を「県民のくらしを充実させるため、安全を守るために優先的に使えば、全国でもトップクラスの安心して住み続けられる千葉県にすることは十分に可能」。ガラス張りの県政にし、「一人も取り残さない」千葉県にしていくと述べる。

 そのうえで、①新型コロナウィルスから県民のいのちとくらしを守り抜きます。②災害に強いまちづくり、早急な復興復旧をはかります。③県予算を医療や福祉、教育、災害対策の充実に最優先に使い、県民誰もが安心して住みやすい千葉県にします。④子どもたちがのびのびと健やかに成長するための教育を実現します。⑤県内の農業・漁業、営業と事業を守り、雇用を守り生み出します。⑥ジェンダー平等、誰もが自分らしく生きられる社会をつくります。⑦県民の財産である環境を守り災害から県民を守ります。⑧憲法と平和を守り、戦争につながる動きに反対します。⑨平和と県民のくらしを守るため国に堂々と求めます。という9本の柱に、36項目の具体的政策が盛り込まれている。
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 最後に、三輪定宣代表委員と候補者・かなみつ理恵さんとの間で、政策協定、組織協定のそれぞれに調印が行われた。代表委員の一人として、私も押印した。
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 さあ、知事選が始まる。投票日まで2か月と時間はないが、全力をあげよう。

治安維持法犠牲者、杉浦正男さん逝く

 治安維持法による弾圧犠牲者で千葉県内ただ一人の生存者だった杉浦正男さんが亡くなられた。12日朝のことだったという。106歳と5か月だった。

 コロナの関係で、今日、ごく限られた人数で納棺式を行い、船橋の馬込斎場で荼毘にふされた。遺族以外では、最後まで故人に寄り添った藤田廣登さんと治安維持法国賠同盟県本部から七里一司副会長、そして私が参列した。
DSC05061 (2).JPG   年末に撮影したという写真が遺影となった
 治安維持法による狂暴な弾圧が吹き荒れていた戦前・戦中、杉浦さんらは、親睦会を装って巧みに「出版工倶楽部」を立ち上げ、最盛期には1500人からの労働者を組織。文字通り、工場の若い労働者のなかに、種をまく活動に取り組んだ。

 しかし1942年、特高の牙が襲いかかる。11月11日、杉浦さんも逮捕。「国賊め、貴様らの一人や二人たたき殺しても、誰のとがめもうけないんだ。たたき殺してやるから覚悟しろ。」などと罵声を浴びせながら「樫の棒、竹刀をもった刑事五人で私をとりかこみ代わるがわるめった打ちにし、髪をつかんで引きずりまわし、樫の棒では膝を、竹刀では頭をうち、正座させては膝を革靴で蹴とばし、膝上に乗るなど・・・」(杉浦正男著「若者たちへの伝言」)という激しい拷問を加えられた。
DSC05065 (2).JPG   杉浦さんの著書のひとつ「若者たちへの伝言」
 1945年4月、杉浦さんは、教誨師から妻の富子さんが、3月10日の東京大空襲で逃げ込んだ小学校で爆撃にあい、亡くなったことを伝えられる。ポツダム宣言を受諾した後も、時の政府は、思想犯を獄につないだまま。杉浦さんの出獄も、敗戦から2か月を過ぎた10月のことだった。
DSC05821.jpg   杉浦正男さんの長寿を祝う会で挨拶する故人(2017年、103歳)
 戦後、杉浦さんは、印刷出版労働組合を再組織。やがて階級的労働組合「産別会議」の事務局長として活躍する。産別会議解散時には、その財産を平和と労働運動に役立てようと「平和と労働会館」建設に尽力。それはいま「平和と労働センター・全労連会館」へと引き継がれている。

 棺のなかの杉浦さんは、いくぶん痩せてはいたものの今にも起き上がりそうな感じさえするつややかな凛としたお顔で眠っていた。送り人に促されて、死出の旅立ちに必要な装束を整える手伝いをした。最後に、藤田さんが用意してきた「出版工倶楽部」の旗の写真や治安維持法国賠同盟の黄色いゼッケン、労働者教育協会の赤い腕章などなどを、花で埋まった棺のなかに入れた。
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 杉浦さん、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。ご遺志をしっかりと受け継ぎ、そう遠くない時期に、必ず戦争勢力から政権を奪取します。特高政治ともいうべき、安倍・菅政治、自民・公明政治を終わらせます。歯がゆい思いをさせるときもあるかもしれませんが、どうぞこれまで同様、あたたかく見守ってください。最後にもう一度、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

身近に迫る感染拡大――政治の舵の切り替えが急務


 新型コロナの新規感染者が、今日も500人を超えた。感染拡大に歯止めがかからない状況ではあるが、中村きみえ市議とともに地域を訪問して歩いた。

 途中、中村きみえ市議が呼び止められて、かなりの長時間、地域の諸問題についてお話を伺うことになったりして、予定の軒数をこなすことはできなかったが、それでも一軒のお宅で「しんぶん赤旗」の日曜版を購読していただけることになった。

 あるお宅では、お正月明けに迎えたお客さんが、その後PCR検査で陽性となり、以来、外出を控え、自粛生活を余儀なくされていると、不安の声が寄せられた。

 中村きみえ市議が詳細を聞き取った後、さっそく担当部署に電話し問い合わせた。どうやら、「濃厚接触」の範疇には入らないとのことで、検査も必要がないらしい。それを相談者に伝えながら、さらに今後の対処の仕方についてもアドバイスをしていた。

 相談者の吹っ切れたような明るい声、感謝の言葉が受話器から漏れ聞こえてきた。「たいしたものだ」というと、「私も一応、保健師ですから」と、中村市議。

 コロナの脅威が、徐々に身近に迫っている。不安におびえながら、しかし、どう対処していいのかわからないまま、じっと身を潜めるようにして暮らしている人が増えているのだろう。

 無為無策、泥縄式の対応を繰り返す今の政府では、国民の不安と不信は増すばかりだ。感染者と接触したら、公の責任で検査をするのは当たり前だ。徹底した検査と保護で、初めて国民は安心を得ることができる。医療機関への手厚い支援で、どんな事態になっても安心の医療体制を確保してこそ、政治や行政への不信も払しょくできる。

 保健所とその職員を削減し続けてきた政府、公立・公的病院の統廃合を今なお進めようとしている政府の責任は重大だが、多少でも国民の命と安全を守る気があるのなら、舵の切り替えは急務だ。

伊藤千代子に学ぶ


 今日の「しんぶん赤旗」社会面に、「伊藤千代子に学ぶ志」との見出しで、映画化に向けた北海道苫小牧の取り組みなどが紹介された。

 伊藤千代子は、1905年長野県諏訪市で生まれた。諏訪高女では、当時教頭だった歌人・土屋文明の薫陶を受ける。東京女子大時代に社会科学研究会で学び、やがて日本共産党に入党。1928年3月15日の大弾圧で逮捕・投獄された。残虐・野蛮な拷問に屈することなくたたかったが、夫・浅野晃の転向・裏切りなどもあり拘禁精神病に。最後は、肺炎を患い24歳の命を奪われた。
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 千代子の死からわずか6年後の1935年、土屋文明は「こころざしつつたふれし少女(おとめ)よ 新しき光の中におきておもはむ」「高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき」など、六首を雑誌「アララギ」に発表した。特高警察による野蛮な弾圧が吹き荒れるなか、土屋の勇気にも賛辞を贈りたい。

 伊藤千代子の獄中最後の手紙は、苫小牧市立図書館に保管されていたのを、藤田廣登さんの依頼を受けた日本共産党元苫小牧市議・畠山忠弘さんが執念で発掘。映画「伊藤千代子の生涯」(仮題、桂壮三郎監督)でも、その直筆が公開される予定だ。

 折しも今日、映画の原作となった「時代の証言者 伊藤千代子」の著者・藤田廣登さんの同書増補版・出版記念講演会実行委員会が開かれた。実行委員会は、共催4団体(治安維持法国賠同盟、国民救援会、民主青年同盟、日本共産党千葉県委員会)の代表で構成されている。
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 コロナの感染拡大に歯止めがかかっていない状況から、開催自体が危ぶまれはしたものの、密をさけるために大きな会場を借りていることやすでに国賠同盟や救援会のほうに参加の問い合わせなどが複数届いていることなどから、消毒や換気、検温など、可能な限りの感染防止対策をとり、しかも、講演会そのものを簡素化、時間を短縮して行うことで意見の一致をみた。

 時間短縮の関係で、藤田さんの講演も短縮し、桂壮三郎監督のお話は、割愛せざるを得なかったが、感染防止に十二分に留意しつつご参加いただければと思う。

「小出し」「後手後手」の菅政権、「緊急事態宣言」を追加

 「小出し」「後手後手」「場当たり」「泥縄」「科学軽視」に「朝令暮改」。菅・自民公明政権のコロナ対応を揶揄・批判する言葉だ。

事実、1月8日に1都3県を対象に緊急事態宣言を発出した菅首相。対象地域拡大について問われ、「そうした状況にない」と否定していた。ところが一転、今日(14日)から大阪など7府県を追加。どちらの場合も、相変わらず明確な説明はなし。菅政権の新型コロナ対策への不安と不信は高まるばかりだ。

 「GOTO」で感染拡大が指摘されても、「そうしたエビデンス(証拠)はない」などとうそぶき、11カ国のビジネス関係者の往来停止にも抵抗してきた。

 感染拡大防止のあり方は「最初にしっかりと網を大きくかけておいて徐々に緩めていくのが原則」と、日本共産党の小池晃書記局長。菅政権のやり方は、これに逆行すると厳しく指摘した。

 緊急事態宣言に伴い、いま求められているのは、一つには飲食の業者などが、安心して時短や休業ができる十分な補償を行なうこと。もう一つは、検査の抜本的拡充。とりわけ、集団感染が多い高齢者施設や医療機関での一斉、定期的な社会的検査を全額国庫で行うことだ。疲弊し、経営危機に瀕している医療機関への減収補填・財政的支援も必要だ。

 それらに背を向けたまま、要請に応じない業者の店名公表など、懲罰的な対策を強化すれば、国民同士の対立と分断をもたらすだけだ。4.7兆円におよぶ第三次補正予算案の抜本的組み換えが求められている。

 マスコミもようやく、病院にも入れてもらえず、自宅待機している間に命を落とす事例を報道し始めた。保健所を減らし、病院の統廃合や病床減らしを進め、医療体制を脆弱なものにしてきた政治の責任だ。私たちは、不幸にもこんな政府を持ってしまった。次の総選挙は、私たち自身が私たち自身の命と安心を守るためにも重要な選挙になる。

作業や会議・治安維持法国賠同盟の一日

 今日は、治安維持法国賠同盟の機関誌「不屈」新年号の発送作業。7人が参集して、分厚い中央本部版と千葉県本部版に加え、1月28日に予定している「時代の証言者 伊藤千代子」増補版出版記念講演会のお知らせなどを折り込んだ。
DSC05044 (2).JPG   発送作業の様子
 記念講演会は、コロナ感染の拡大から躊躇があるものの、すでに参加の問い合わせなども寄せられていることから、短時間かつ簡素なものにして実施する予定で、明後日の実行委員会に諮ることになる。

 昼食を挟んで、千葉県関係の治安維持法犠牲者名簿作成のための編集会議。ここには、「飯島喜美の不屈の青春」の著者・玉川寛治さんや「時代の証言者 伊藤千代子」の著者・藤田廣登さんも参加。すでに基礎資料を整えつつある玉川寛治さんを編集長に、事務局長に小松敦さんを選出、手始めに「特高月報」からの洗い出し作業の日程などを決定した。
DSC05048 (2).JPG   藤田廣登さん玉川寛治さんを交えての編集会議
 名簿の作成について玉川さんは、犠牲者の足跡を残すというだけでなく、「国が犠牲者への謝罪をすることになった時の対象者を用意しておく仕事だ」と、その意義を強調した。弾圧の標的となった日本共産党が創立100周年を迎える2022年の5月末を目途に出版をめざすことになった。
DSC05052 (2).JPG   名簿作成の参考資料
 休憩を挟んで、その後は定例の三役会議。小松敦事務局長の司会で、組織拡大や国会請願署名の取り組み、財政の状況などについて、協議が行われた。

 うれしいことに、また一つ県内に同盟の支部が誕生する。この間、かなり長期間に及ぶ準備段階を経て、いよいよ2月初めに柏を中心とする東葛地域に支部が誕生する。結成総会の日程も報告され、当日は、私も駆けつけて県本部としてあいさつをすることになった。

 今日は、出版記念講演会のご案内をするなかで、ある医師から「私も同盟に加盟したい」との連絡があったとのうれしいニュースもあった。千葉県同盟の着実な前進がうれしい。