後援会旅行で被災地案内の志賀さんが東京新聞に

13.10.05


 日本共産党千葉市後援会と花見川区後援会共催で、今年も11月に「秋の一泊旅行」が行われます。

 行き先は、福島。テーマは「会津鶴ヶ城を訪ね、津波・原発被害を実感する旅」。早朝出発して、一日目は大河ドラマ「八重の桜」でおなじみの鶴ヶ城を見学。奥飯坂の穴原温泉に泊ります。夜はもちろん、大宴会です。

画像 二日目がすごい。朝早く宿を出て、浪江町や南相馬へ。途中7キロほど離れた請戸橋というところから福島第一原発を遠望します。浪江町では、配られることなく山積みされた2011年3月12日付の新聞がそのままにされている新聞店。映画「日本の青空」の主人公、日本国憲法の生みの親ともいわれる鈴木安蔵の生家。JR小高駅の自転車置き場。その日、ここに自転車を置いて職場や学校に向かった人たち。ふたたびこの自転車に乗って家に帰ることはありませんでした。今もその日の朝のまま、自転車が並んでいるといいます。さらに、津波であっさりと破壊された護岸がそのまま残る村上海岸へ。

 強行軍ですが、現地をご案内いただくのが、地元(南相馬市小高)のホッキ貝漁師志賀勝明さん(新聞記事の写真、下)。原発から13キロの新築間もない自宅には、今も帰れないままです。その志賀さんが、9月26日付東京新聞の一面で紹介されていました。

 「憲法と、」というシリーズ。「屈しない 一人でも」との見出し。40年にわたって原発反対運動を展開してきた浪江町に住む元中学校教師大和田秀文さん(新聞記事の写真、上)とともに、登場しています。

 1973年、国の原子力委員会が福島第二原発の建設で開いた公聴会に、志賀さんは、反対派の一人として出席していました。以下、東京新聞の記事を紹介します。


 「仲間の漁師たちは最初『海が汚染される』と反対したが、原子炉が増設されるたびに支払われる膨大な補償金で腰砕けとなり、最後は孤立無援となった。福島第一原発近くにあるホッキ貝の漁場は、原発の取水が始まってから生息に必要な砂地がなくなり、水揚げはほとんどゼロになった。」

 「2006年に新築した自宅は福島第一原発から13キロ。立ち入り可能な避難指示解除準備区域になった12年4月に訪れると、壁は変色し、家の中には鳥の巣まであった。『がっくりきて、もう、掃除する気もしない』。避難先を転々とする中、母は亡くなった。」

 「志賀は震災前、地元の仲間に誘われ、9条の会に参加していた。南相馬市の借り上げアパートに閉じ込められた現状は、憲法13条の幸福追求権の侵害なんだろうかと思ったりもする。『素人だからよくわからないけど、人は誰からも束縛されずに住みたい場所に住む権利があると思う。』」

 11月。志賀さん、よろしくお願いします。そして、原発ゼロをめざして、ともにがんばりましょう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント