「目からうろこ」だった「出雲と大和」(岩波新書・村井康彦)

14.07.30


 先日、村井康彦さんの「出雲と大和――古代国家の原像をたずねて」(岩波新書)を読みました。まさに「目からうろこ」でした。

画像 「大和の中心にある三輪山になぜ出雲の神様が祭られているのか?それは出雲勢力が大和に早くから進出し、邪馬台国を創ったのも出雲の人々だったからではないか?ゆかりの地を歩きながら、記紀・出雲風土記・魏志倭人伝等を読み解き、古代世界における出雲の存在と役割にせまる。」表紙カバーに、こうありました。

 これまで、根拠もなしに、何となく「出雲王朝」は、出雲に根を張った「もう一つの王朝」で、大和勢力に国譲りを迫られたのだと、そんな風に思っていました。

 「一知半解」の誹りを恐れず、乱暴に言えば、出雲の王朝は、大和をも支配下におさめていたということでしょうか。その理由として、大和の中心・三輪山の祭神が「大物主」であり、出雲系の神であること。出雲の国造が朝廷に出かけて奏上した神賀詞(かむよごと)に言う「皇孫の命の近き守神」は、いずれも出雲系の神々であり、大和朝廷以前から大和に存在していたとみられること。記紀に、編纂者たちが熟知していたはずの「邪馬台国」「卑弥呼」の名前が全く出てこないのは、邪馬台国が大和朝廷とはつながらない、無縁の存在だったということ。したがって、邪馬台国は出雲勢力が立てたクニだったというものです。
画像
 昨年、梅原猛さんの「葬られた王朝」を読みました。かつて出雲平野に豊かな王朝を築いたオオクニヌシの「出雲王朝」が、北九州から東征してきた天孫族に国譲りを迫られたと、「出雲王朝」の存在をクローズアップした著書でした。それに刺激を受けて、出雲への旅行もしてきました。

 天孫族を東征に駆り立てたものはなんだったのか。なぜ、出雲ではなく、大和を取り囲んだのか。ニギハヤヒノミコトは、なぜ、有能な最も信頼のおける部下ナガスネヒコを殺してまでも、神武東征軍との「和平」の道=国譲りの道を選んだのか。古代世界へのロマンは、尽きるところがありません。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ナイス

この記事へのコメント