東海道、二宮から国府津

18.10.30


 好天に誘われて、24日に続いて東海道散歩へと出かけました。箱根を超える前に、少しでも先に足を延ばしておこうとの魂胆です。

 先日は、あの「ガラスのうさぎ」の記念像のある二宮駅まででした。今日はそこから。

 二宮駅から東海道へ出て、1キロも行かないうちに「吾妻神社」の大きな鳥居。ヤマトタケルが三浦半島の走水(はしりみず)から房総半島へと渡ろうした時に、海の神が荒れて、渡ることも退くことも出来なくなったときに、妻のオトタチバナヒメが「御子の身代わりになりましょう」と、入水したところ、波は鎮まり対岸に進むことができたという「古事記」の逸話は有名です。そのオトタチバナヒメの櫛が、七日後に浜に流れ着いたのを見つけたヤマトタケルは、そこに小さな墓を作って、形見の櫛を納め置いたとのこと。
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 とすると、その浜も墓も、対岸の房総でなければならないはずですが、まぁ、いいことにしましょう。その後、東の荒ぶる神々を平らげての帰り道、足柄の頂きに立って、(走水のほうを)はるかに見渡して妻を想い「吾妻はや」と、三度嘆いたとのことで、以来、足柄から東を「吾妻(あづま)」と呼ぶようになったとか。

 そこから少し行くと「等覚院」。別名「藤巻寺」というのがありました。狭い境内ですが、古いフジの大木がありました。境内の説明板には、3代将軍家光が上洛の折、ここに駕籠を止めて藤の花を愛でたとありました。また、梵鐘は、寛永8年(1631年)の銘がある二宮町最古のもので、町の重要文化財だとありました。
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 等覚院を過ぎると、道はまた国道1号に合流します。しばらく行くと、一里塚の跡。「江戸より十八里」とありました。実際は、75~6kmだと思います。思えば遠くへ来たものです。
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画像 道はまた、国道から逸れて、押切坂という坂道。途中に、「松屋本陣跡」の標柱がありました。完全に民家の庭の中です。大磯宿と小田原宿の間が、16kmと長いため、この辺りに間の宿(あいのしゅく)として休憩所が設けられ、「梅沢の立場」と呼ばれた、と説明にありました。その中心が「松屋本陣」ということでした。

 ふと見ると、山の向こうに真っ白な富士山が顔を出していました。富士もずいぶん大きく見えるようになりました。富士山を見ると、どうしてもシャッターを切らずにはいられません。
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 下りきったところでまた国道1号と合流しましたが、ついに小田原市の標示。入り組んでいて、すぐにまた二宮町になるのですが、ついに小田原です。しばらく行くと、「大山道」の道標が目に入りました。これまでにも、何か所か「大山」への道の分岐に、道標がありましたが、こんなところからも、道が開かれていたのかと改めて大山信仰のすそ野の広さに驚かされました。石灯篭の裏面には、文化十一年と刻まれていました。
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 西湘バイパス越しに海を見、波の音を聞きながら、国府津の駅から帰路に着きました。
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