建国記念の日に、日本共産党が大宣伝

19.02.11


 今日は「建国記念の日」ということになっています。いうまでもなく、この日は、戦前・戦中の「紀元節」。初代、神武天皇が即位をした日ということですが、眉唾です。

 そもそも日本書紀などで、カムヤマトイハレビコ=神武が即位したとされるのは、正月朔日、つまり1月1日です。これでは、何の祝いの日なのか曖昧になります。「神武即位の日」を祝う、ということが国民に広まらない。そこで1873年(明治6年)政府は、太政官布告で2月11日を紀元節とし、国家的な祝日としました。これがのちのち、軍国主義を支える重要な日となっていきます。

 戦後、1947年の12月、時の片山哲内閣は、GHQの勧告を受けて「新憲法下の国民生活にふさわしい祝日」を新たに定める方針を明らかにします。曲折はありましたが、翌1948年7月、衆院本会議で祝日法が可決されます。もちろんそこには、「紀元節」は含まれませんでした。審議が行われた文化委員会の委員長小川半次は、国会にこう報告しています。「選定は、第一には新憲法の趣旨にそうべきこと、第二には国民大衆をあげて納得し、参加しうべきものでしたので、国家神道的な色彩はもちろん払拭されています。」

 ところが1951年、ときの吉田茂首相の国会答弁が大きな転機になります。「いずれの国においても建国祭、建国記念日を祝することは当然でして、日本としても・・・講和条約ののち紀元節は回復いたしたいものと私は考えます。」この発言が「紀元節」復活をめざす神社界などを勢いづけます。そしてやはり曲折があったのち、1966年、「体育の日」「敬老の日」と抱き合わせで「建国記念の日」が制定されました。

 翌々年、68年には、「明治百年記念式典」が行われました。歴史学者・家永三郎さんは「明治百年史観は、日本の歴史をのっぺらぼうな一直線の発展・栄光の歴史ととらえ・・・すべてをバラ色に染めてしまおうとする考えだ」と、痛烈に批判しました。さらに翌69年には、「自主憲法制定国民会議」が結成され、神社界の政治部門「神道政治連盟」が誕生します。侵略戦争や植民地支配、その結果、国民に耐えがたい苦しみを味わわせたことを反省するどころか、その時代への逆行をめざすこうした流れが、いまの安倍政権へとつながっています。

 ちなみに、カムヤマトイハレビコ=神武は、137歳まで生きたことになっています。神武天皇の存在も、また2月11日という即位の日も、あとからの創作と考える以外にありません。。

 とまれ、休日。日本共産党の奮闘は、今日も続きます。2月17日のJR新検見川駅南口の演説会のお知らせや政策の訴えをしようと、寺尾さとし県議の事務所には、大勢の人たちが集まりました。
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 雪のなか、午前中からがんばった人もいたようです。私は、午後からの参加でしたが、合わせて20人が7組に分かれ、それぞれハンドマイクや出来立てののぼりを持って、地域へ飛び出していきました。事務所に残った人たちは、お汁粉などの準備です。
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 私も、Hさん、Kさんと組をつくって、6か所で訴えをしてきました。全体では、60か所になったようです。なかには、訴えを聞いて、家から出てきた方と対話になり、その場で「しんぶん赤旗」を購読してもらったという組もありました。安倍政権への怒りのすさまじさが実感される話でした。

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