終戦74年、加害の歴史にも向き合う日に

19.08.15


 74回目の終戦記念日。天皇制政府が、せめてあと半年早く終戦を決意していれば、東京大空襲も広島・長崎の惨禍もなかった。私たちは、戦争と暗黒政治がいかに国民を苦しめ、悲惨な体験と思いを強いてきたか、ある程度は知っている。

 しかし一方、私たちは、私たちの国の侵略と植民地支配が、それらの国々や地域の人々に対して、どれほど残酷で理不尽な仕打ちをしてきたのか、その侵略と植民地支配の歴史と経過、さらには現地の人々の抵抗とたたかいを含めて、あまりにも無知にすぎないだろうか。

 今日15日は、植民地や日本軍の占領地域だった人々にとって「解放の日」であり、韓国でも「光復節」として国民的な祝いの日になっている。ところが日本のメディアは極端に悪化している日韓関係のなかで今日も、歩調を揃えたようにそれらをさえ韓国の感情的な反日の動きとして伝えようとしている。

 しかし発端になった肝心の「徴用工」というものの実態については、何一つ伝えようとしない。

 たとえば、中国の劉連仁(リュウリエンレン)という人は、1944年のある日突然、日本軍傀儡兵の銃剣によって拉致され、日本に連れてこられ、北海道の留萌奥地の炭鉱で奴隷的な重労働を強いられた。どうせ死ぬならと脱走し、敗戦も知らずに、1958年2月に発見されるまで13年間も逃げ回っていた。見つかれば殺される、との思いからだった。当時、大ニュースになったようだが、ときの政府は、やはり「強制連行」の事実を認めようとはせず、もちろん謝罪もしなかった。私もこの事実を早乙女勝元さんの著書(「徴用工の真実」新日本出版社)によってはじめて知らされたが、多くの人も同様だろうと思う。

 慰安婦の実態にしても、また然りだ。私たちはあまりにも知らされずに来た。

 戦争で私たち国民がどんな悲惨な目に遭ったのか。それを伝える仕事も十分とはいえないが、それでもヒロシマ、ナガサキの原爆資料館など、いくつかはある。しかし、日本の侵略と植民地支配、その実態や歴史を記録し伝える仕事は、あまりにも少ないのではないだろうか。私は、加害の歴史記念館のようなものがあって然るべきだと思っている。

 少なくとも、この日を加害の歴史と向き合う日にしていかなければと思っている。