「北海道ツアー」二日目、野呂・多喜二を訪ねて

 25日、ツアー二日目。まずは、野呂栄太郎(1900~1934)を育んだ長沼町へ。途中、案内の同盟南空知支部長の薮田亨日本共産党長沼町議と合流、野呂栄太郎の顕彰碑へと向かった。

 バスを降りて、驚いた。入口付近に「野呂栄太郎記念碑小公園」と刻まれた立派な石。小公園になっているのだ。入るとほぼ正面に、「野呂栄太郎碑」の石塔。千葉から参加の三人で記念撮影をした。
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DSC04751 (2).JPG   左から、高橋妙子千葉県本部副会長、小松実、小松敦事務局長

 野呂栄太郎は、長沼に生まれ育った。小学生の頃、校庭での怪我がもとで右足の膝から下を切断、義足のため公立の中学校には入れてもらえなかったという。慶応大学在学中から産業労働調査所の活動に参加、治安維持法による最初の弾圧事件「学連事件」で家宅捜査を受け、卒業式は刑務所で迎えたとのこと。

 野呂の主著「日本資本主義発達史」(1930年)は、その後における日本資本主義の科学的研究の出発点となったとされる。翌年、当時の日本共産党内外のマルクス主義研究者を結集して「日本資本主義発達史講座」の刊行を準備。その趣意書に「われわれの期する所は、歴史の解釈ではなくして、その変革である。歴史を変革するとは、過去の歴史的事実を改変することではなくして、未来の歴史を創造することである。」と記している。
DSC04755 (2).JPG   小公園のなかで、説明する薮田町議(右)と参加者たち

 しかし、次々と党幹部を奪われていくなかで、野呂は宮本顕治らと党中央を構成して活動。1933年11月、肺結核のために療養中、スパイの手引きにより逮捕。激しい拷問や虐待に抗してたたかうも、翌年2月19日、生涯を閉じた。33歳と10か月だった。

 薮田町議が持参した町編纂の「長沼町の歴史」には、「野呂栄太郎」と題する章が組まれていた。公園の敷地は、隣の農地の所有者が無償で提供してくれたものだという。石塔の資金は、全国から寄せられたカンパに頼ったという。地元の同盟の人々が、その維持のために尽力している。
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 美味しいジンギスカンの昼食をいただき、小樽へと向かった。めざすは、小樽文学館。多喜二の展示コーナーには、多喜二が「妹へ!幼き日の思ひ出に。小林多喜二」と、扉に自書した献呈本「東倶知安行」や「小林多喜二」と名前の入った北海道拓殖銀行の辞令簿など、興味深い多数の展示物があった。訪れるのは三度目だが、その都度発見がある。加えて今回は、一般公開されていない多喜二の石膏デスマスクを見ることができた。死の直後、採られたものという。玉川館長が保管室から持ち出してきてくれた。一行への特別の好意だ。
DSC04772 (2).JPG   妹を思う多喜二の優しさが表れている献呈本
DSC04769 (2).JPG   館長の特別の配慮で見ることができた石膏のデスマスク

 夕暮れが迫るなか、小樽高商(現・小樽商科大学)を卒業した多喜二が務めた北海道拓殖銀行など、近隣をあわただしく見学。ホテルへと向かった。

治安維持法国賠同盟の関東ブロック交流会

 一昨日、「伊藤千代子の獄中最後の手紙を見る会」から帰ってきたところだが、今日は、治安維持法国賠同盟関東ブロックの交流会。コロナの関係で、各都県の会長・事務局長を中心とした限られた出席者で開かれた。

 東京都本部会長で中央本部副会長の吉田万三さんの開会のあいさつのあと、増本一彦中央本部会長が基調報告。2020年代に「治安維持法体制」に歴史的決着をつけよう。そのために、総選挙で必ず勝利しよう、それに貢献できる強大な同盟を建設しよう、と訴えた。続いて、各都県からの報告。千葉県からは、小松敦事務局長が報告した。
DSC04845.JPG   あいさつする増本一彦中央本部会長(右)

 休憩後、参加者による討論。埼玉県からは、支部づくりが会員拡大の基本だと、その経験が語られた。千葉県からは、県本部副会長の七里さんから、市川・浦安支部の活動が報告された。
DSC04848 (2).JPG   報告する七里一司千葉県本部副会長

 市川・浦安支部では、7年間にわたって同盟機関誌「不屈」の市川・浦安版を発行し続けているほか、82回を数える月例の学習会や女性部による映画会や講演会、渡政の墓前祭や「平和のための戦争展」の取り組みなど、多彩な支部の活動が報告された。

 会員を増やし、ダイナミックに国会請願署名を集め、紹介議員を増やし、治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を実現する、同時に、命を賭して平和と民主主義のためにたたかいぬいた先人たちの歴史を発掘し顕彰する。同盟に課せられたこの課題に応えた発言があったし、また、高齢化に伴う困難や財政にかかわる諸問題の提起もあった。

 最後に私が、中央本部副会長として討論のまとめを兼ねて閉会の挨拶を行なった。3時間半以上の討論・交流の終了後、わずか5分の休憩中にまとめるのは至難の業。案の定、うまくはできなかった。

伊藤千代子の手紙を見る会&多喜二、野呂を訪ねる旅・1日目

 24日から昨26日まで、治安維持法国賠同盟顧問の藤田廣登さんの肝いりで、「伊藤千代子獄中最後の手紙を見る会&多喜二・野呂を訪ねる北海道ツアー」に参加してきた。

 羽田空港から18名、中部国際空港から8名の総勢26名が、千歳空港で合流。ただちに、最初の訪問地、「伊藤千代子の手紙を見る会」の会場である苫小牧市立中央図書館に向かった。用意されたマイクロバスは、荷物の収納スペースがなく、それぞれ荷物を抱えての乗車。

 図書館で我々がお弁当を食べ、伊藤千代子の最後の手紙を見ている間に、映画「伊藤千代子の生涯」(仮題)の総監督桂壮三郎さんやシナリオの宮負秀夫さん、原作の「時代の証言者 伊藤千代子」の著者・藤田廣登さん、さらに「手紙を見る会」実行委員長の入谷寿一さんらが記者会見。その様子は、27日付の「しんぶん赤旗」北海道・東北版や地元の「北海道新聞」などに掲載された。
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 千代子の筆跡は、端正で飾り気のないもので、その人柄がにじみ出ているように思われた。残念なことに、いまだに写真撮影は許されておらず、紹介することができない。

 その後、現地北海道の人々を加え、60人ほどでの集い。まず、お忙しいなか苫小牧市立中央図書館長の岩城昌幸さん、そして実行委員長の入谷さんから、かなり長めの歓迎のご挨拶をいただいた。
DSC04725 (2).JPG   歓迎のあいさつをする岩城図書館長
DSC04727 (2).JPG   「手紙を見る会」の苫小牧実行委員長入谷寿一さん

 続いて、報告ということで桂壮三郎監督や伊藤千代子の最後の手紙4通発見の立役者・畠山忠弘さん(日本共産党の元、苫小牧市議)、そして藤田廣登さんからお話があった。それぞれ15分という短時間の縛りのなかで、しかし、映画制作へ向けての決意や伊藤千代子の最後の手紙発見と公開に至るミステリーのようなお話、原作本の著者としての千代子への思いなどが語られた。贅沢な、時間的にも規模という点でももったいないようなミニ講演会だった。(すみません。お三方の写真がありません。)

 千代子が義母・浅野すてなどに宛てた最後の手紙は、夫の浅野晃が保管していた。浅野は、戦前の転落・裏切りの事実を隠し、戦後、水野成夫(みずのしげお、日本共産党の幹部だったが、獄中で転向、絶対主義的天皇制を認める立場に転落。獄中の同志たちに転向を迫る。戦後は、財界に。フジ・サンケイグループの総帥となる。)に招かれ、この苫小牧の地で、あたかも文化人であるかのように振る舞い、その影響力を広げた。手紙はいったん、長野の文芸評論家で伊藤千代子研究家でもある東栄蔵さんの手に渡ったものの、苫小牧市立図書館に寄贈するからとのことで、それを取り戻す。浅野は、「自分が死ぬまで、公表しないでくれ」と図書館に頼みこんだ。公表されれば、戦後の浅野の仮面ははがされざるを得ない。手紙は、それから27年間、段ボールの底に眠り続けることになった。

 伊藤千代子は、信州諏訪の人。東京女子大学在学中に社会科学研究会に参加、中心的な役割を果たした。1927年に当時指導的立場にいた浅野晃と結婚。卒業を目前にした1928年2月の第1回普通選挙、浅野に求められて、労農党の候補として札幌・小樽地区から立候補する山本縣蔵の選挙のために、届いたばかりの「最後の学費」をそっくり提供する。その資金を得て、山本は北海道へ渡ることができた。

 雪のなかを馬橇で移動する選挙の様子は、小林多喜二の小説「東倶知安行」に詳しい。しかし、1928年3月15日朝、水野から託された原稿を秘密の党の印刷所へ運んだところを、張り込み中の特高警察に逮捕された。

 残虐な拷問に耐え抜いた千代子だったが、夫・浅野が水野と気脈を通じて転向、その裏切りの上申書を見せられ、苦悩する。「最後の手紙」4通は、その頃のもの。やがて拘禁精神病を病んだ千代子は、松沢病院へと移される。回復基調にあったが、しかし急性肺炎を発症した千代子は、24歳の若さでその短い生涯を閉じた。1929年9月24日、事実上の獄死だった。

 「こころざしつつたふれし少女よ 新しき光のなかにおきておもはむ」
 
 「高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき」

 諏訪高女時代の千代子の恩師で歌人の土屋文明は、雑誌「アララギ」に「某日某学園にて」と題して、伊藤千代子の実名入りの歌六首を発表した。千代子の死からわずか6年後。依然として弾圧の嵐が吹きすさぶさなか、1935年10月のことだった。

 桂壮三郎監督のもとで、どんな映画に仕上がっていくのか。楽しみだ。制作支援に力を尽くしたい。会はその後、フロアーからの発言があり、さながら映画づくり成功への決起集会のようでもあった。ツアー参加者のなかからも、「日本共産党発見!!」三部作で人気のワタナベコウさんや千葉県本部事務局長の小松敦さんなどが、発言した。
DSC04730 (2).JPG   発言するワタナベコウさん
DSC04734 (2).JPG   発言する千葉県本部の小松敦事務局長

 最後に私も、ツアー団の団長ということで、閉会のあいさつをした。
DSC04742 (2).JPG   閉会の挨拶をする小松実

 市立図書館を出ると、すっかり暗くなっていた。幸いなことに、それほどの寒さではない。初日の日程はここまで。25日、26日は、野呂栄太郎や小林多喜二、ゆかりの地を訪ねたが、その報告はまた後日。

学術会議問題で、治安維持法国賠同盟が抗議の声明

 日本学術会議が推薦した会員候補のうち、菅首相が6名の任命を拒否した問題で、治安維持法国家賠償要求同盟は、先般、増本一彦中央本部会長名で抗議の声明を発表した。

 声明はまず、「学術会議は、憲法上保障されている学問・学術の自由にもとづく理性・知性の領域から『国民の立場に立って』政府への各種の勧告を行うことによって、時の政権が学問・学術の真理に裏付けられた理性・知性に担保された政治が行えるようにする目的を持っている。」と指摘する。
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 そのうえで、「かつて、わが国では、絶対主義的天皇制軍国主義の下で、例えば天孫降臨に対する学術的疑念の提起や天皇を国家の執行機関として議会(国会)による国民の要求や意見の反映の努力を容認する学説などを、治安維持法や刑法の不敬罪によって弾圧するなど、学問の自由とその発露である思想・良心の自由、言論・表現の自由は激しく圧迫されてきた。」「治安維持法犠牲者のなかには学術の領域における活動の故に弾圧の犠牲となった人々が数多くおられるのである。この深刻な反省のもとに、日本国憲法の精神にもとづいて学術会議は誕生し、今日まで政府に対し数々の勧告を行ってきたのであった。」と歴史を振り返る。

 そして「科学的『勧告』を受けるべき政府が権力を笠に着て、自分の都合の良い勧告を出させようとする菅政権の今回の人事介入は言語道断であり、学問の自由と科学、真理、理性、知性の尊重を否定する憲法蹂躙の新たなファシズムである。より良い勧告を政府にするために、科学の正しい立場に立って総合的、俯瞰的に会員を人選するのは学術会議であって、勧告を受ける政府ではない。」と皮肉を交えて厳しく断じ、

 「6名の任命拒否を撤回し、政府は今後このような科学と学問の領域への権力的介入を絶対にしないことを全国民の前に誓うことを要求する。」と結んでいる。

 治安維持法による弾圧体制によって、わかっているだけでも小林多喜二など93人が、警察署などでの残虐な拷問によって虐殺されている。野呂栄太郎や三木清など、優秀な学者・研究者を含め、400人を超える人々が獄死させられている。安倍政権やそれを引き継いだ菅政権は、そうした思想弾圧や人権抑圧を反省するどころか、今なお正当化し、その時代と政治体制への回帰さえ目論んでいる。

 ファシズムへの大きく危険な一歩を許してはならない。

日本共産党千葉県後援会が総会と活動交流会

 千葉県下各地の、あるいは各分野の日本共産党後援会の活動交流会を兼ねて、第38回千葉県日本共産党後援会の総会が開かれた。
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 最初に、会長として開会のあいさつを行なった。「市民と野党の共闘」の5年間を振り返り、次の総選挙で「市民と野党の共闘」の勝利と日本共産党の躍進を勝ち取ろう、そして政権交代を、野党連合政権を実現しよう、そのために今、日本共産党の勢いを示そう、後援会に求められているものは大きい、とそんな話をしました。
DSC04677 (2).JPG   挨拶をする小松実
 衆議院南関東ブロック比例代表の斉藤和子前衆議院議員(千葉県7区を兼ねる)、同じく沼上とくみつさんが、ご挨拶をされた。さらに同じく南関東ブロック比例代表の候補でもある志位和夫委員長、畑野君枝衆議院議員からのメッセージが読み上げられた。
DSC04680 (2).JPG   挨拶をする衆院比例代表の斉藤和子前衆議院議員

DSC04686 (2).JPG   同じく衆院比例代表の沼上とくみつさん

 続いて、日本共産党千葉県委員会の小倉忠平委員長が、報告に立った。学術会議への露骨な介入など、菅政権のファッショ的強権的な姿勢を指弾しつつ、「市民と野党の共闘」の勝利と日本共産党の躍進という任務をやり切るうえで、後援会の活動の重要さを指摘、期待の言葉を述べた。
DSC04691 (2).JPG   報告する小倉忠平千葉県委員長

 休憩後、各地・各分野の後援会からの報告。毎月のように映画会や囲碁の会を開いている地域がある。船橋市では、行政区としての後援会ニュースを発行し、好評を得て1.5倍近くに発行部数も伸ばしている。コロナ禍なので、会員宅で少人数の集いを繰り返し、参加者との距離がうんと縮まったと報告した議員さんもいた。教職員の後援会、労働者後援会からの報告もあった。共通していたのは、毎月の役員会がしっかり定着していること、そこで十分な議論が行われ、各種の行事が企画され、後援会ニュースの発行・配布がきちんと行われていることだ。本当に頭が下がる。

 2回目の休憩の後、駆け付けてくれた前進座の方々からご挨拶をいただいた。制作部の林さんからは、コロナ禍で苦しんでいる劇団の実情が紹介され、千葉県の後援会や会員からの支援で、なんとか劇団を維持することができていると感謝の言葉が述べられた。女形の忠村臣弥(ただむらしんや)さんからもご挨拶をいただいた。本来なら、今年の観劇会では、「俊寛」が予定されていた。その「俊寛」でも、「ちどり」という重要な役で出演予定だった。舞台の袖で、忠村臣弥さんとツーショットの写真を撮らせてもらった。
DSC04716 (2).JPG   挨拶をする前進座の忠村臣弥さん

 事務局長代行の仁木利則さんから、議案の提案があり、若干の質疑の後、拍手で承認された。次期役員についても、提案通り選出された。

 休憩をはさんで3時間ほどの会議だったが、だいぶ疲れを感じた。体力の衰えは、如何ともしがたい。

第26回「房総のいしずえ」合葬追悼会

 第26回「房総のいしずえ」合葬追悼会が行われた。治安維持法国賠同盟も運営委員会の一員ということで、県本部を代表して参加した。

 「房総のいしずえ」の碑は、高さ270センチ、幅180センチ、奥行き170センチ、重量約10トンという立派なもの。御宿霊園の一角にある。「千葉県にも顕彰碑を」との提案から21年経過した1996年、幾多の先輩諸氏の尽力によって、第2回の追悼会で除幕式が行なわれた。
DSC04667 (2).JPG   顕彰碑「房総のいしずえ」に手を合わせる人々

 碑誌には、「わが国の進歩と平和 民主主義とくらしを守る運動に寄与し、志なかばで倒れた千葉県ゆかりの人々を顕彰し、その遺志を受け継いでゆく誓いとして、ここに『房総のいしずえ』を建立する。」と刻まれている。今回48人の方々が新たに合葬された。

 コロナ禍のなか、今年は屋内で開かれる追悼会も、規模を縮小して行われた。全員で黙とうを捧げたあと、主催者を代表して国民救援会千葉県本部の鷲尾清会長があいさつした。続いて、民主青年同盟千葉県委員会の吉田委員長が、今回の合葬者を紹介。日本共産党千葉県委員会を代表して岡田幸子県常任委員が、また遺族を代表して川俣進さんがごあいさつした。
DSC04656.JPG   主催者挨拶をする国民救援会千葉県本部の鷲尾清会長

DSC04659 (2).JPG   遺族を代表してあいさつする川俣進さん

 いつも行われてきた合唱などのセレモニーも省略。突然という感じで、閉会の挨拶の指名を受けた。
DSC04662 (2).JPG   閉会の挨拶をする小松実

 戦前・戦中、国民の目と耳、口をふさぎ、拷問による虐殺や多くの獄死者をうんだ弾圧機関・特高警察、その流れをくむ警備公安警察出身者が、官邸で権力をふるい、ついに学術会議・学問の世界にまでその支配を及ぼそうとしている。特高政治ともいうべきおぞましい流れを断ち切って、憲法に基づく政治、民主主義の花開く政治を実現しよう、そのために来る総選挙では、市民と野党の共闘の勝利、日本共産党の躍進を勝ち取ろう、そして野党連合政権を実現しよう、それこそが「房総のいしずえ」に眠る先人たちへの何よりの供養になる。めざましい前進を遂げつつある市民と野党の共闘のいっそうの前進と勝利のために奮闘することを合葬者の皆さんに誓って、あいさつを閉じた。

 式典終了後は、例によって「房総のいしずえ」に献花。墓地には、参列者の長い列ができた。
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五十嵐投手(ヤクルト)お疲れさまでした

 昨日、日米球界で活躍したヤクルトスワローズの五十嵐亮太投手が今季限りでの現役引退を表明した。今朝の「しんぶん赤旗」も、「『本当に幸せだった』」「ヤクルト五十嵐 引退会見」「救援一筋 日米905試合」と報じた。
DSC04643 (2).JPG   16日付の「しんぶん赤旗」スポーツ欄

 実はこの五十嵐君は、うちの奥さんの教え子だ。千葉市立柏井小学校の5年生、6年生を担任した。

 五十嵐君が、6年生の時に「春の絵を描く会」での作品が、いまも花見川区役所の玄関前の壁を飾っている。ちょうど千葉市が政令市になるときで、募集に応じて五十嵐君の作品を提出したのだとか。今はクレパスでゴッホの模写などをし、「画伯」と呼ばれるほどの絵の腕前だが、その才能は、すでに小学生のころから発揮されていたようだ。
DSC04645.JPG   五十嵐君の絵がタイルになって展示されている花見川区役所玄関前の壁面
DSC04647 (2).JPG   五十嵐君の作品

 敬愛学園高校に進学。甲子園の夢は叶わなかったが、1997年度のドラフト会議でヤクルトスワローズから2位で指名を受けた。その日、五十嵐君から電話があった。「先生いますか?」と弾むような声。残念ながら奥さんは留守。私は、たまたまその日のドラフト会議をテレビで見ていた。「五十嵐君、よかったねー。すごいねー。頑張ってね。」「はい、ありがとうございます。」そんな会話を交わした。

 その五十嵐君が、厳しいプロの世界で23年間も、しかも日米通算905試合に登板する活躍をするとは、失礼ながらその時は思いもしなかった。まだ中学生の頃だろうか、私の県議選の宣伝カーを、小松先生の旦那さんだと知って、友だち数人と自転車で追いかけてきたりしていたものだ。そんなイメージが強かった。

 プロに入ってのシーズンオフ。その五十嵐君が、妻の転任先の学校へ訪ねてきたことがあった。かっこいい赤の車で乗りつけたのだとか。妻に、可愛いマフラーのプレゼントを持ってきてくれたのだ。「無駄遣いするんじゃないよ」私たちとは桁違いの年収を手にするようになったプロ野球の選手に元担任は、そんな言葉をかけたという。
DSC04652 (2).JPG   五十嵐君から妻へのプレゼントのマフラー
 「しんぶん赤旗」によれば、会見に涙はなく、「もうたくさん泣いてきた」と笑顔だったという。引退後も野球に携わりたい意向を示したという。現役選手としては引退だが、まだ41歳。人生半ばに差し掛かったところだ。これからの活躍を見守りたい。とにもかくにも、お疲れさまでした。

千葉2区市民連合の街頭宣伝予定

 千葉2区市民連合の11月~12月の街頭宣伝行動の予定が送られてきた。

 「学術会議会員6名の任命拒否、政権の意向にそぐわないものは徹底的に排除する強権的な菅政権。コロナ禍で苦しんでいる人たちに『公助』よりも『自助』を求める冷たい菅政権。こんな政権は1日も早く退陣させるしかありません。
 市民と野党の共闘で総選挙に勝利し、政権交代、野党連合政権を実現し希望ある政治を」
と書いてある。
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 テレビでは、田崎史郎などという御用記者などが、政権の代弁をし、政権擁護のでたらめ情報を流し、論点すり替えに躍起になっている。大資本がメディアを握り、政権と癒着している現状は危険この上ないが、だからといって、私たちがテレビ局を持てるわけではない。

 だから、草の根から、草の根の声をあげていくしかない。地道に、しかし決して諦めることなく、まともな政治を実現するために声をあげ続ける。そして結局、それが政治を、歴史を動かすことになる。歴史がそれを教えている。

 10月19日(月)午後5:00~6:00には、「市民アクション花見川」が、JR新検見川駅南口で、宣伝・署名行動を行なう。

治維法国賠同盟機関誌「不屈」の発送作業

 72回目の誕生日だった今日は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関誌「不屈」の発送作業。例によって、中央本部版に千葉県版を挟み込み、さらに今日は、先の県本部総会で決定された議案書を挟み込んだ。

 手慣れたもので、午前中には作業が完了。手配りの分を除いて、残りを副会長の七里さんが、近くの郵便局へと運んでくれた。
DSC04637 (2).JPG   作業終了後、郵便局へ運び込むための最終確認

 午後からは、県本部の三役会議。小松敦・新事務局長の懇切なレジュメや資料に基づいて、5時近くまで。

 「平和のための戦争展ちば」や渡辺政之輔の「墓前祭」などの行事の報告と課題の整理、財政や組織の実態と今後の取り組み、同盟顧問の藤田廣登さんの「時代の証言者 伊藤千代子」増補新版の出版記念講演会や「房総のいしずえ」合葬追悼会の取り組みなど、多岐にわたって協議が続いた。

 少々疲れはしたが、こうした地道な活動が、戦前回帰と独裁政治を志向する勢力を追い詰めていく一歩一歩になるのだと思う。

JCJ大賞受賞と「しんぶん赤旗」の役割

 昨日、第63回日本ジャーナリスト会議(JCJ)の贈賞式が行われ、「安倍晋三首相の『桜を見る会』私物化スクープと一連の報道」で2020年度の大賞を受賞した「しんぶん赤旗」日曜版編集部に賞状とトロフィーが贈られた。今朝の「しんぶん赤旗」が報じた。

 選考委員の諌山修氏(ジャーナリスト)は、「選考会議では真っ先に満場一致で大賞候補となった。スクープの第一報だけでなく、どの記事も驚くようなものばかりだった」と語ったとのこと。
DSC04634 (2).JPG   10/11付け「しんぶん赤旗」

 日本ジャーナリスト会議は、「再び戦争のためにペン、カメラ、マイクを取らない」を合言葉に、1955年から活動を続けているジャーナリストの統一組織。1958年以降、年間の優れたジャーナリズム活動や作品に同賞を授与している。「赤旗」は近年では14年に「『ブラック企業』を社会問題化させた一連の追及キャンペーン報道」(日曜版編集部)、18年に「米の核削減、日本が反対 核弾頭の最新鋭化も促す」(政治部、外信部)でJCJ賞を受賞してきたが、大賞は今回が初めてだという。

 日本共産党が発行している「前衛」11月号(「『赤旗』がなぜ、JCJ大賞を受賞できたのか」)で、日曜版編集長の山本豊彦さんは、「なぜ、大手メディアではなく、政党機関紙の赤旗がスクープできたのか」とよく質問を受けるが、それは「日本共産党の機関誌だからこそスクープできたのですよ」と、答えていると書いている。
DSC04635 (2).JPG   日本共産党発行の月刊誌「前衛」11月号

 その理由として山本豊彦編集長は、第一にメディアの視点の問題を指摘する。「桜を見る会」の問題を、首相による国政の「私物化」の重大疑惑として告発した点にこそスクープの核心があるという。法政大学の上西充子教授は、大手メディアは安倍首相による「私物化の実態を知っていたはずだが、問題視しなかった。彼らにとって首相による「私物化」は、当たり前のことだったと指摘する。そして、「招待された芸能人の画像がSNS上にアップされる会のありように私も違和感を抱いていたが、公的行事の『私物化』というところまで思いが至らなかった」(「朝日」1月8日付夕刊)との大手メディアの自戒の一文も紹介されている。

 第二に、全国各地に広がる日本共産党のネットワークの力だという。党の地方議員や支部の皆さんの力がなければ、安倍後援会関係者への取材もできなかったし、証言も取れなかっただろうというのだ。

 第三に山本編集長は、日本共産党国会議員団の論戦力と「市民と野党の共闘」の力をあげる。2019年5月の宮本徹議員の質問、11月の日曜版報道をもとにした田村智子議員の質問にも、大手メディアは反応しなかった。ところが、質問から3日後、野党による「『桜を見る会』追及チーム」が発足するに及んで、にわかにテレビのワイドショーや新聞が大きく報じ始めた。これはまだ、私たちの記憶にも新しい。

 山本編集長は、「赤旗にあって大手メディアにないものは『追及する意思』ではないか」との雑誌「世界」(20年1月号)の言葉も紹介し、ジャーナリズムの役割は「権力の監視」だと強調する。

 山本編集長が指摘するようにいま、「しんぶん赤旗」は、野党連合政権の実現へ道を開くための「国民共同の新聞」であり、「市民と野党の共闘」の共通の機関紙だと思う。これが100万部程度でいいはずがない。来るべき総選挙で、「市民と野党の共闘」の勝利と日本共産党躍進を実現し、野党連合政権を実現していくために、壮大な規模で読者を増やしていくことが求められている。私も、微力を尽くそうと思う。

志位和夫委員長を迎えて日本共産党演説会

 志位和夫委員長を迎えての日本共産党演説会。あいにくの冷たい雨が降るなか、JR津田沼駅へと向かった。

 到着はちょうど開始時間。デッキの上は、予想に反してすでに聴衆でいっぱい。かろうじて、宣伝カーの見える位置を確保した。

 最初に、ゲストの千葉5区市民連合・矢口望さんが訴えた。矢口さんは、前回総選挙で日本共産党が候補を降ろして、しかも野党統一候補の立候補手続きから宣伝カーの運行まで、文字通りの献身的な活動で選挙を支えたことに心から感動したと報告。今度の選挙でも、野党共闘を必ず成功させ、政権交代を実現しようと訴えた。
DSC04604 (2).JPG   訴える千葉5区市民連合の矢口望さん
 続いて、千葉2区予定候補の寺尾さとしさん、千葉5区の浅野史子さん、11区の椎名史明さん、そして千葉7区を兼ねる比例代表の斉藤和子前衆議院議員が訴えた。
DSC04607 (2).JPG    千葉2区の寺尾さとしさん
DSC04610 (2).JPG   千葉5区の浅野史子さん
DSC04612 (2).JPG   11区の椎名史明さん
DSC04617 (2).JPG   比例代表の斉藤和子前衆議院議員
 志位和夫委員長は最初に、安倍政権を引き継いだ菅首相による学術会議への人事介入の問題を取り上げ、学問の自由を乱暴に踏みにじる暴挙だと批判。菅首相が、「自助」を強調していることについて、「政治の仕事は、公助だ」ときっぱり。私たちの後ろを駅利用客の女性が、拍手をしながら通り過ぎた。
DSC04624 (2).JPG   日本共産党の志位和夫委員長

 コロナ後には、前の社会に戻るのではなく、よりよい未来・日本にしていきたいと話をすすめた志位和夫委員長。①ケアに手厚い社会をつくる。②人間らしく働ける労働のルールをつくる。③一人ひとりの学びを保障する社会をつくる。④危機にゆとりをもって対応できる強い経済をつくる。⑤科学を尊重し、国民に信頼される政治をつくる。⑥文化・芸術を大切にする国をつくる。⑦ジェンダー平等社会をつくる。という7つの提案を具体的に述べた。
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 最後に、こうした社会をつくるためにも、次の選挙で必ず野党共闘を成功させ、勝利しなければならないと志位和夫委員長。衆議院での首相指名選挙で、野党が一致して立憲民主党の枝野氏に投票し、134票を獲得した。あと100議席ひっくり返せば政権交代が実現できる。野党が連合政権をつくるという強固な意志を国民に示せば、それは実現できると力を込めた。

 冷たい雨のなか、これだけの人が参集したことに正直驚いた。駅への入り口で、「高校生がね。私の後ろに立って、最後までじっと聞いていたの。」感動気味に知り合いの女性が語っていた。嘘のない、人が大切にされるまともな政治、平和で安心して働き、暮らせる社会へ、大きな変革のときが迫っている。

学術会議問題で、田中優子法大総長がメッセージ

 わが母校、法政大学総長の田中優子さんが、以下のメッセージを発表された。誇りに思う。


総長メッセージ

日本学術会議会員任命拒否に関して

日本学術会議が新会員として推薦した105名の研究者のうち6名が、内閣総理大臣により任命されなかったことが明らかになりました。日本学術会議は10月2日に総会を開き、任命しなかった理由の開示と、6名を改めて任命するよう求める要望書を10月3日、内閣総理大臣に提出しました。

日本学術会議は、戦時下における科学者の戦争協力への反省から、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」(日本学術会議法前文)ことを使命として設立されました。内閣総理大臣の所轄でありながら、「独立して」(日本学術会議法第3条)職務を行う機関であり、その独立性、自律性を日本政府および歴代の首相も認めてきました。現在、日本学術会議の会員は、ノーベル物理学賞受賞者である現会長はじめ、各分野における国内でもっともすぐれた研究者であり、学術の発展において大きな役割を果たしています。内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。

また、日本国憲法は、その研究内容にかかわりなく学問の自由を保障しています。学術研究は政府から自律していることによって多様な角度から真理を追究することが可能となり、その発展につながるからであり、それがひいては社会全体の利益につながるからです。したがってこの任命拒否は、憲法23条が保障する学問の自由に違反する行為であり、全国の大学および研究機関にとって、極めて大きな問題であるとともに、最終的には国民の利益をそこなうものです。しかも、学術会議法の改正時に、政府は「推薦制は形だけの推薦制であって、学会の方から推薦いただいたものは拒否しない」と国会で答弁しており、その時の説明を一方的に反故にするものです。さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。

本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。

その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。

任命拒否された研究者は本学の教員ではありませんが、この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。

このメッセージに留まらず、大学人、学術関係者はもとより、幅広い国内外のネットワークと連携し、今回の出来事の問題性を問い続けていきます。

2020年10月5日

法政大学総長 田中優子

総選挙勝利へ!花見川区の共産党と後援会が決起集会

 昨日の花見川区の決起集会の記事をアップし忘れていたようです。以下、昨日3日の記事です。


 今日は、千葉市花見川区の「日本共産党と寺尾さとしの総選挙勝利をめざす総決起集会」が開かれた。コロナ禍のもと、入り口で体温を測ったり、手を消毒したり、会場内も三密を避ける措置が取られていた。

 Nさんの司会で、まずは市議会議員の盛田まゆみさんがあいさつ。市役所出張所の維持など、開会中の市議会での自らの質問を紹介した。
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 続いて、中村きみえ市議。千葉市のコロナ対策の現状や課題、少人数学級の実現や公立病院の統廃合・病床削減など、やはり市議会での質問と当局の対応などを報告。
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 続いて、党を代表して黒須康代中部地区委員長があいさつ。党員や「しんぶん赤旗」読者が6か月連続で前進していることに感謝を述べ、比例代表で花見川区で2万票をと訴えた。
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 寺尾さとし千葉2区予定候補は、菅首相の危険な本質が明らかになったと、日本学術会議から推薦された委員のうち、6人の任命を拒否したことに触れ、安倍政権以上のシンプルな独裁をめざしていると厳しく指摘。木更津駐屯地へのオスプレイ暫定配備撤回も訴えた。この間の千葉2区市民連合の共同宣伝に参加したことも報告、今度の選挙での政権交代を強調した。最後に、入党したいと電話してきた22歳の青年との対話を紹介、いま党に若い人たちからの注目が広がっている、躍進のチャンスと訴えた。
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 最後に、比例代表の予定候補・斉藤和子前衆議院議員。冒頭、必ず国会に戻る決意を述べ、比例代表の選挙は見えにくいが、得票目標にしがみつくしかないと指摘。前々回の総選挙で、党が21議席に躍進したときには、すべての委員会に複数の委員を配置できた、党を除いての国会運営ができないという状況が、今日の野党共闘の土台を築いたと、強調した。全身で語り、熱い心をぶつけてくる訴えには、迫力があった。
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 その後、地元の後援会などからの決意表明や行動提起があり、伊藤二悦花見川区後援会長の音頭でガンバローを参照して決意を固めあった。

素敵な手作りマスクをいただいた

 「小松さん、これうちの奥さんの手作りマスク。下があいているから、すっごく楽なんですよ」

 昨日、幕張のTさんから、素敵なマスクをいただいた。紺地にトンボが白抜きで描かれている。トンボは別名「勝ち虫」とも呼ばれる縁起のいい図柄だ。科学的にどうなのかは知らないが、まっすぐに前に飛ぶだけで、けっして後退しないということから、武士のさまざまな意匠として使われてきた。
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 先日、千葉2区市民連合の合同宣伝のときに、Tさんが奥さん手作りの同じマスクをしていた。柄は「青海波」だった。「あっ、青海波ですね。いいですね。」と声をかけた。「青海波」は、雅楽の一つ。光源氏がこの文様の衣装を着て「青海波」を舞う場面が、源氏物語にある。Tさんは、ひとしきりこれが如何に快適なマスクかを説明してくれた。

 宣伝や散歩のときなどは、最適のアイテムになりそうだ。Tさん、奥さん、ありがとうございました。大切に使わせてもらいます。

女性の尊厳を否定、杉田議員は即刻辞職を!

 「女性はいくらでもウソをつけますから」と放言した杉田水脈衆議院議員。当初は「そんなことは言っていない」と否定していたその発言を認めはしたものの、今度は「女性を蔑視する意図はまったくございません」とウソを重ね、謝罪も撤回もしなかった。

 今日の「しんぶん赤旗」には、わが治維法国賠同盟中央本部女性部が、杉田議員の発言に抗議する声明を発表、自民党と杉田議員に送付したことが報道された。
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 抗議声明は「女性の尊厳を真っ向から否定する」と厳しく批判。これまでも杉田議員によるLGBT(性的少数者)への差別的発言(2018年)などが不問にされてきたことに「これ以上同議員の人権侵害行為を不問に付すことは許されない」と、発言に断固抗議するとともに、謝罪と撤回、議員辞職を求めている。

 杉田氏のようなこんな人物を比例代表の第一位に位置付け、当選させてきた自民党の見識が問われている。