母の命日に思う
今日は、母の命日。
横浜の霊園に墓参りをし、その帰りに近くの兄の家に立ち寄って、食事をいただき、よもやま話をするのが恒例だったが、今年は新型コロナの状況から、兄とも相談のうえ中止にした。
48年前の今日、母は、苦労するだけして、そそくさと逝ってしまった。私が、10か月に及ぶ入院生活から解放されて、退院してきた2週間ほど後のことだった。まだ60歳だった。

教員採用試験に合格して、赴任先が決まろうかという最後の身体検査で肺に影が見つかったのだ。前年の秋から、咳と微熱が気になっていたが、しつこい風邪だとくらいにしか考えていなかった。改めて病院で診察を受けたが、診断結果が出ると同時に、即日、強制入院ということになった。肺結核だった。
教員は、母のあこがれの職業だった。事実上の母子家庭で、身体も丈夫ではなかった母が、二人の子どもを育て上げるのはたいへんなことだったろう。ようやく、下の息子である私が、その教員に採用される直前での入院は、母にとってどれほどの衝撃であり、打撃だったろう。
入院の支度をしながら、「大丈夫だよ」と、私を励ます母の頬を濡らしていた涙が、今も忘れられない。
あれからもう半世紀近くにもなる。兄も私も、母の年齢を大きく超えて元気にしている。生前、おそらくはたいへんな不安と悩みを抱えての暮らしだったはずなのに、逆にご近所の相談役になったり、子どもたちのための公園づくりに奔走したりした母だった。
世の中の苦しんでいる人たちのために、少しでも役立つ仕事をすることが、母への何よりの供養になるはずだ。今年も、コロナに負けず、でたらめな政治を終わらせ、政権交代を実現するために、微力を尽くしていこうと思う。
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