治安維持法犠牲者、杉浦正男さん逝く

 治安維持法による弾圧犠牲者で千葉県内ただ一人の生存者だった杉浦正男さんが亡くなられた。12日朝のことだったという。106歳と5か月だった。

 コロナの関係で、今日、ごく限られた人数で納棺式を行い、船橋の馬込斎場で荼毘にふされた。遺族以外では、最後まで故人に寄り添った藤田廣登さんと治安維持法国賠同盟県本部から七里一司副会長、そして私が参列した。
DSC05061 (2).JPG   年末に撮影したという写真が遺影となった
 治安維持法による狂暴な弾圧が吹き荒れていた戦前・戦中、杉浦さんらは、親睦会を装って巧みに「出版工倶楽部」を立ち上げ、最盛期には1500人からの労働者を組織。文字通り、工場の若い労働者のなかに、種をまく活動に取り組んだ。

 しかし1942年、特高の牙が襲いかかる。11月11日、杉浦さんも逮捕。「国賊め、貴様らの一人や二人たたき殺しても、誰のとがめもうけないんだ。たたき殺してやるから覚悟しろ。」などと罵声を浴びせながら「樫の棒、竹刀をもった刑事五人で私をとりかこみ代わるがわるめった打ちにし、髪をつかんで引きずりまわし、樫の棒では膝を、竹刀では頭をうち、正座させては膝を革靴で蹴とばし、膝上に乗るなど・・・」(杉浦正男著「若者たちへの伝言」)という激しい拷問を加えられた。
DSC05065 (2).JPG   杉浦さんの著書のひとつ「若者たちへの伝言」
 1945年4月、杉浦さんは、教誨師から妻の富子さんが、3月10日の東京大空襲で逃げ込んだ小学校で爆撃にあい、亡くなったことを伝えられる。ポツダム宣言を受諾した後も、時の政府は、思想犯を獄につないだまま。杉浦さんの出獄も、敗戦から2か月を過ぎた10月のことだった。
DSC05821.jpg   杉浦正男さんの長寿を祝う会で挨拶する故人(2017年、103歳)
 戦後、杉浦さんは、印刷出版労働組合を再組織。やがて階級的労働組合「産別会議」の事務局長として活躍する。産別会議解散時には、その財産を平和と労働運動に役立てようと「平和と労働会館」建設に尽力。それはいま「平和と労働センター・全労連会館」へと引き継がれている。

 棺のなかの杉浦さんは、いくぶん痩せてはいたものの今にも起き上がりそうな感じさえするつややかな凛としたお顔で眠っていた。送り人に促されて、死出の旅立ちに必要な装束を整える手伝いをした。最後に、藤田さんが用意してきた「出版工倶楽部」の旗の写真や治安維持法国賠同盟の黄色いゼッケン、労働者教育協会の赤い腕章などなどを、花で埋まった棺のなかに入れた。
DSC05060 (2).JPG
 杉浦さん、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。ご遺志をしっかりと受け継ぎ、そう遠くない時期に、必ず戦争勢力から政権を奪取します。特高政治ともいうべき、安倍・菅政治、自民・公明政治を終わらせます。歯がゆい思いをさせるときもあるかもしれませんが、どうぞこれまで同様、あたたかく見守ってください。最後にもう一度、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント