東京新聞夕刊一面に「マルクス」


 昨日1日付の東京新聞の夕刊トップ、「マルクス コロナ禍の脚光」の見出しに驚いた。「環境保全の視点で新解釈 論客人気」「資本主義に対案 若者の心つかむ」と、なか見出し。この国では、一般紙の一面にマルクスの名が躍るのは、極めて珍しいことだし、好意的な見出しは、さらに珍しいことだ。

 リードには「気候変動が国際問題化し、新型コロナウィルスが人々の格差を浮き彫りにする中で、資本主義の矛盾や限界を指摘した19世紀の思想家マルクスがあらためて脚光を浴びている。」とある。
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 取り上げられているのは、大阪市立大学准教授・斉藤幸平氏の「人新世の『資本論』」(集英社新書)だ。発行25万部超、編集者や書店員らが選ぶ「新書大賞2021」の大賞も射止めたと紹介されている。

 「従来の『マルクス本』との最大の違いは、その思想を環境保全の観点から捉え直し、資本主義に新たな対案を示した点だ。 国連などが掲げる持続可能な開発目標(SDGs)の実現は、利益追求が本質の資本主義の下では『丸い三角を描く』のと同様に不可能だと主張。晩年のマルクスは循環型社会『脱成長コミュニズム』を構想していたとして、スペイン・バルセロナの実践例などから理想の社会像を提示した。」と、記事にあった。

 私も、今年、お正月の読書にこの本を読んだ。たまたま近くの本屋で目にしたのだが、「人新世」とは何ぞやと思った。「人新世」とは、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クロッツェンという人の言葉で、人間の活動の痕跡が地球上を覆いつくした年代という意味だそうで、人類が築いてきた文明が、存続の危機に直面しているとの認識を示しているのだそうだ。
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 著者は、マルクスのすべての文書を網羅した「新MEGA(メガ)」の編集に携わってきたという。つまり、今までは誰も注目してこなかった、読むこともできなかったマルクスの研究ノート、抜き書きやメモの類までも読み込んで、これまで誰も気づかなかった晩年のマルクスの到達点を発見したと意気込む。そして、新しい「資本論」解釈が可能になったと胸を張る。

 その結論が「脱成長コミュニズム」なのだそうだ。「恐慌から革命へ」という認識に立っていた若きマルクスが、「だから社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要があると考えていた節がある。いわゆる『生産力至上主義』である。」と著者は述べる。そして「旧来のマルクス主義は、現代にいたるまでずっと生産力至上主義にとらわれてきたのだ。」と断ずる。

 言うまでもないことだが、マルクスは「恐慌」について、資本論第三部第四篇第18章「商人資本の回転、価格」のなかで、「商人資本による流通過程の短縮」、つまり「架空の需要」が「再生産過程を制限を越えてまでも推進し、ついには恐慌に至る。」と、解き明かしている。若きマルクスが「恐慌から革命へ」との認識にあったことは事実だが、「生産力至上主義」というのは、初耳だ。しかも、著者にしては珍しく「節がある」などという曖昧な言葉を使っているが、その論拠は何も示されていない。

 他にも、「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」という「ゴータ綱領批判」のレーニンによる誤読をそのまま「有名なコミュニズムの定義」として、無批判に引用していたり、「階級闘争」という言葉がついに一言も出てこないまま、「フィアレス・シティー」(国家に対してもグローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することをめざす都市・自治体=その例として著者はバルセロナをあげている。)の実践に期待を寄せる。さらに言えば、ヨーロッパの研究者のさまざまな論述は紹介しても、母国日本の「マルクス主義者」=科学的社会主義者とその党を全く視野の外に置いていること(あえて無視しているのか、日本共産党の綱領も不破哲三氏の著作も読んだことがないのか)などなど、数多くの疑問が残る。

 とはいえ、こうした若い研究者とその著作が話題になり、マスコミで報じられることの意味は大きい。著書には、ジャーナリストのナオミ・クラインの活動や主張も紹介されているが、気候崩壊は待ったなしの課題になっている。資本主義や、まして新自由主義に未来はないし、これに終止符を打つことが求められている。「社会主義か、絶滅か」これは、ナオミ・クラインの著書の帯にある斉藤幸平氏の言葉だ。
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