谷津矢車の「蔦屋」に脱帽

14.08.14


 お盆休み。どこにも出かけず、高校野球を見たり、本などを読みながら、ゆっくりと自宅でくつろいでいます。(もっとも、明日は母親の墓参に横浜まで出かけますが)

 おもしろかったのは、谷津矢車(やつ やぐるま)の「蔦屋」。喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵、恋川春町、山東京伝らの戯作を次々と世に送り出した江戸の出版プロデューサー「耕書堂・蔦屋重三郎」の物語です。
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 しかし物語は、商売が立ち行かなくなり、いよいよ廃業というところに追い込まれた同じ地本問屋豊仙堂・丸屋小兵衛の前に、蔦屋重三郎が忽然と現れる場面から始まり、最後まで、その丸屋小兵衛の目を通して語られます。

 吉原で生まれ育った重三郎。1773年、23歳のときに、吉原大門の前に書店を開いて、「吉原細見」(吉原の遊女やお店を紹介する案内書)を販売、大いに稼いで、1783年には、一流版元の並ぶ日本橋に進出します。

 物語では、その日本橋の店をたたもうとしていた豊仙堂・丸屋小兵衛のもとに現れるのがこの時です。秘かに出版元としての小兵衛を憧憬していた重三郎は、小兵衛を抱え込む形で、次々にヒット作を送り出しますが、やがて、松平定信の寛政の改革によって、弾圧にさらされることになります。武士の身でありながら、幕府のご政道を徹底的にからかい批判した恋川春町は、自害に追い込まれます。山東京伝は、手鎖50日、重三郎は、財産の半分を没収されるという目にもあいます。

 弾圧による苦難にもかかわらず、東洲斎写楽を見いだし、権力への抵抗をつづけながら、重三郎は、1797年48歳の波乱の生涯を閉じました。

 物語は、重三郎亡き後、日本橋の店を守りつづけた丸屋小兵衛に、(重三郎の)お迎えが来るところで幕となります。

 これを書いたのが、弱冠27歳という若き書き手だということに驚きます。確かに、会話の部分などに、江戸とは程遠い現代の若者の会話の響きがあって、興ざめをするところもありますが、こういう若い書き手が現れたことを心から喜びたいと思います。

 他に、吉橋通夫の「官兵衛、駆ける」を楽しく読みました。大河ドラマの「黒田官兵衛」の少年期から青年期に焦点を当てた物語です。吉橋氏の作品では他に、反戦川柳作家の鶴彬(つる あきら)を書いた「小説 鶴彬―暁を抱いて」を読んでいますが、「官兵衛」も、丁寧なあたたかい筆致の楽しい作品でした。

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