小松実のひとりごと

アクセスカウンタ

zoom RSS 86年目の多喜二虐殺の日に思う

<<   作成日時 : 2019/02/20 18:48   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

19.02.20


 今日、2月20日は、あの小林多喜二が警視庁特高の中川成夫らの狂気の暴力・凄惨な拷問によって虐殺された日です。

 1933年、86年前の今日。党内に潜り込んでいたスパイ三船留吉の手引きによって、築地署特高に逮捕された多喜二は、数時間におよぶ拷問の末、運びこまれた築地署近くの前田医院で絶命したとされています。

画像 しかし、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(中央本部常任理事・千葉県本部理事)の藤田廣登さんは、その著書「小林多喜二とその盟友たち」(学習の友社)のなかで、疑義を呈しています。築地署・特高らは、虐殺した多喜二の遺体を前田医院には運ばず、そのまま翌21日の午後まで放置していた可能性があるというのです。

 藤田さんはその根拠として、多喜二急逝の報で、文芸講演会を途中で切り上げて最も早く築地署に駆けつけたグループの一人、田邊耕一郎氏の目撃証言を挙げています。

 田邊耕一郎氏は、「小林が絶命したあとまる一日築地署の冷たい留置場入り口のところのたたきの上に、丸裸で仰向けにして転がされ、きたないドンゴロス(麻で織った粗布=小松)の布切れをかぶせて引き取り人がくるまで放ったらかされていたものと思われる。私が駆けつけたのは三時頃だったと思うが、その時はそうなっていたのだ。」と述べています。

 前田医院への搬送は、築地署内ですでに絶命していた事実を糊塗し、「心臓麻痺で死んだ」との警察発表に合わせるための偽装に過ぎなかったというのです。

 警視庁特高は、最初から多喜二の命を奪うつもりだったと藤田さんは指摘します。それを裏付ける江口渙の証言が紹介されています。その2月上旬、警視庁を訪れた江口氏に語った、特高・中川成夫の次の言葉です。

 「小林多喜二のやろう。もぐっていやがるくせに、あっちこっちの大雑誌に小説など書きやがって、いかにも警視庁をなめてるじゃないか。・・・・いいか。われわれは天皇陛下の警察官だ。・・・・おそれ多くも天皇陛下を否定するやつは逆賊だ。そんな逆賊はつかまえしだいぶち殺してもかまわないことになっているんだ。小林多喜二もつかまったら最後いのちはないものと覚悟していろと、君から伝えておいてくれ。このことだけは、やつがつかまらないうちからはっきりいっておくからな。いいか、連絡であのやろうにあったら忘れずに伝えてくれ」

 その言葉通り、中川ら特高は多喜二を虐殺しました。そのことに対し、未だに日本政府は、謝罪もしていなければ、調査もしていません。
画像
 今日の「しんぶん赤旗」には、文芸評論家の大田務さんの「小林多喜二の文学の新しさ」という一文が掲載されています。大田さんは、「安倍政権が改憲や戦前回帰の軍拡化に向かうとき、間違いなく多喜二文学の評価は、日々に新たになってくるはずである。」と指摘します。

 私たちは、こうした事実を決して忘れてはいけないし、風化させてはならないだろうと思います。とりわけ、安倍政権のファッショ的政治が横行する今、事実を掘り起こし、その責任を追及し続けることは、前の世代に対するだけでなく、あとに続く世代への重大な責任なのだろうと思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
86年目の多喜二虐殺の日に思う 小松実のひとりごと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる