“渡政”没後91年、墓前祭と語り合うつどい
19.10.13
台風一過。今日は、戦前、日本共産党委員長も務めた渡辺政之輔の墓前祭。渡政は、市川市の安国院に、母親のてうさんとともに葬られています。
写真 渡政とお母さんの墓
少し早めに着いたので、江戸川の様子を見ようと、近くの土手に上がって驚きました。真っ青な空を背景に、濁流が音を立てて流れています。おそらくは普段の倍以上の川幅になっているのではないかと思われます。被害を受けた皆さんには、心からお見舞い申し上げます。
写真 河川敷を覆って流れる江戸川の濁流
さて、安国院には、地元の「渡辺政之輔をしのぶ会」のみなさんをはじめ、参会者が汗を拭きふき集まってきます。定刻になって、お線香を手に順にお参り。
写真 お線香を手に順にお参り
恒例ですが、お墓の脇でちょっとした集いを開きます。治安維持法国賠同盟県本部を代表して、私から一言ごあいさつをさせていただきました。毎年、地元のみなさんの努力で、こうして墓前祭が営まれていることに、まず敬意を表明しました。また、昨年の没後90周年記念の土井洋彦さんの講演をもとにした「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」と題するブックレットが、間もなく出版の運びで、11月4日の「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会で販売できるのではないかと普及への協力をお願いしました。さらに、改憲に執念を燃やす安倍政権の背景に、侵略戦争と植民地支配、そのための思想と人権抑圧の弾圧体制への無反省、歴史の改ざんがあるとして、それと真っ向からたたかう治安維持法国賠同盟が、さらに大きく発展することが求められている、との趣旨でお話ししました。
写真 参会者を前に挨拶する小松実
その後、場所を移して「渡辺政之輔を語り合うつどい」が行われました。大銀行で賃金差別撤回に立ち上がった女性行員たちのたたかいを描いた「女たちの曠野」(新日本出版社)の作家・山形暁子さんが司会。治安維持法国賠同盟千葉県本部の理事でもある藤田廣登さんが「多喜二は、渡辺政之輔と南葛労働会をどう描いたか」と題して講演しました。
写真 渡政を語り合うつどい。司会の山形暁子さん
多喜二が東京に出てきたときには、すでに渡政は亡くなっていましたが、真っ先に訪れたのが、当時日本の階級的労働運動の中心地・南葛の亀戸でした。そのとき、亀戸天神の太鼓橋で写した写真が残っています。一緒に写っているのが、野田律太。写真を撮ったのは貴司山治だとのこと。二人とも、南葛労働運動の中心メンバーです。
写真 講演する藤田廣登さん
多喜二の「党生活者」には、「私はフト『渡政』のことを思い出した。渡政が『潜ぐ』ったとき、彼のお母さんは(お母さんはいま渡政ばかりではなく、全プロレタリアートのお母さんであるが)『政とはモウ会えないのだろうか』同志に聞いた。同志の人たちは、『会えないのだ』ということをお母さんに云ったそうである。」という一節があるそうです。「党生活者」は、何度か読んでいるはずなのに、今日、藤田さんから聞くまでは、まったく記憶にありませんでした。
その他にも、「壁に貼られた写真」「転形期の人々」「地区の人々」などに、“渡政”“南葛労働者”“南葛魂”などの言葉が出てくるとのことです。やはり、気に留めることもなく読み過ごしていました。
知れば知るほど、渡政や多喜二が身近になってきます。勉強になりました。
台風一過。今日は、戦前、日本共産党委員長も務めた渡辺政之輔の墓前祭。渡政は、市川市の安国院に、母親のてうさんとともに葬られています。

少し早めに着いたので、江戸川の様子を見ようと、近くの土手に上がって驚きました。真っ青な空を背景に、濁流が音を立てて流れています。おそらくは普段の倍以上の川幅になっているのではないかと思われます。被害を受けた皆さんには、心からお見舞い申し上げます。

さて、安国院には、地元の「渡辺政之輔をしのぶ会」のみなさんをはじめ、参会者が汗を拭きふき集まってきます。定刻になって、お線香を手に順にお参り。

恒例ですが、お墓の脇でちょっとした集いを開きます。治安維持法国賠同盟県本部を代表して、私から一言ごあいさつをさせていただきました。毎年、地元のみなさんの努力で、こうして墓前祭が営まれていることに、まず敬意を表明しました。また、昨年の没後90周年記念の土井洋彦さんの講演をもとにした「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」と題するブックレットが、間もなく出版の運びで、11月4日の「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会で販売できるのではないかと普及への協力をお願いしました。さらに、改憲に執念を燃やす安倍政権の背景に、侵略戦争と植民地支配、そのための思想と人権抑圧の弾圧体制への無反省、歴史の改ざんがあるとして、それと真っ向からたたかう治安維持法国賠同盟が、さらに大きく発展することが求められている、との趣旨でお話ししました。

その後、場所を移して「渡辺政之輔を語り合うつどい」が行われました。大銀行で賃金差別撤回に立ち上がった女性行員たちのたたかいを描いた「女たちの曠野」(新日本出版社)の作家・山形暁子さんが司会。治安維持法国賠同盟千葉県本部の理事でもある藤田廣登さんが「多喜二は、渡辺政之輔と南葛労働会をどう描いたか」と題して講演しました。

多喜二が東京に出てきたときには、すでに渡政は亡くなっていましたが、真っ先に訪れたのが、当時日本の階級的労働運動の中心地・南葛の亀戸でした。そのとき、亀戸天神の太鼓橋で写した写真が残っています。一緒に写っているのが、野田律太。写真を撮ったのは貴司山治だとのこと。二人とも、南葛労働運動の中心メンバーです。

多喜二の「党生活者」には、「私はフト『渡政』のことを思い出した。渡政が『潜ぐ』ったとき、彼のお母さんは(お母さんはいま渡政ばかりではなく、全プロレタリアートのお母さんであるが)『政とはモウ会えないのだろうか』同志に聞いた。同志の人たちは、『会えないのだ』ということをお母さんに云ったそうである。」という一節があるそうです。「党生活者」は、何度か読んでいるはずなのに、今日、藤田さんから聞くまでは、まったく記憶にありませんでした。
その他にも、「壁に貼られた写真」「転形期の人々」「地区の人々」などに、“渡政”“南葛労働者”“南葛魂”などの言葉が出てくるとのことです。やはり、気に留めることもなく読み過ごしていました。
知れば知るほど、渡政や多喜二が身近になってきます。勉強になりました。
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