千葉県日本共産党後援会の第37回総会

19.10.30

 昨日、千葉県日本共産党後援会の第37回総会が開かれました。

 数日前から風邪気味で体調が悪く、この日は熱と頭痛で体を動かすのもつらい状態でしたが、欠席するわけにはいきません。冒頭、会長としてあいさつをしたあとは、座っているだけという状態でした。
DSC03323 (2).JPG   写真   あいさつする小松実
 会長あいさつに続いて、日本共産党千葉県委員会の浮揚幸裕委員長が報告。この間の台風・大雨の連続した災害に対する日本共産党の救援活動などにふれたあと、当面の情勢と任務について報告しました。
DSC03324 (2).JPG   写真   報告する浮揚幸裕千葉県委員長
 続いて、埼玉県の日本共産党後援会事務局長の酒井隆三さんから、埼玉県の先進的な後援会活動について、統一地方選挙や参議院選挙、知事選などで果たした後援会の役割を中心に報告していただきました。酒井さんは、後援会活動を継続・発展させていくうえで大事なこととして、①役員会を定期に開催する。②楽しい行事を少なくとも四季ごとにおこなう。③後援会ニュースを定期に発行し、新しい結びつきを広げていく。④後援会財政を確立する。ことを提起。各地のユニークな後援会の活動を紹介しました。
DSC03326 (2).JPG   写真   報告する埼玉県後援会の酒井隆三事務局長
 後援会の南関東ブロック連絡会では、毎年、「前進座観劇の集い」を実施していますが、その関係で、今回は河原崎國太郎さんがご挨拶に見えました。来年5月の観劇の集いでは、「操り三番叟」「俊寛」「たが屋の金田」の三本立てが予定されています。
DSC03330 (2).JPG   写真   あいさつする前進座の河原崎國太郎さん
 休憩中に、國太郎さんと記念撮影をしていただきました。
DSC03334 (2).JPG   写真   河原崎國太郎を囲んで。右は、小松敦事務局長。
 休憩後、参議院千葉選挙区で奮闘した浅野ふみ子さん、前衆議院議員の斉藤和子さんがごあいさつ。浅野ふみ子さんは、衆議院千葉5区からの立候補を表明しています。参議院での支援のお礼と「今度こそは」の決意を述べました。斉藤和子さんは、衆議員南関東ブロックの比例候補。この間の活動にふれながら、必勝の決意を述べました。
DSC03336 (2).JPG   写真   あいさつする浅野ふみ子さん
DSC03338 (2).JPG   写真   あいさつする斉藤和子さん
 総会議案の提案は、小松敦事務局長。活動報告と方針を簡潔に提案したあと、千葉市の緑区、八千代市、鴨川など各地域後援会からの発言がありました。感心することばかりでしたが、共通していたのは、やはり後援会ニュースを軸にした地道な日常活動ということでしょうか。
DSC03319 (2).JPG   写真   小松敦事務局長
 議案等の採択を終えて、副会長の山田安太郎弁護士が閉会のあいさつをしました。

台風15号・19号に続く大雨被害への支援急務

19.10.28


 25日の大雨は、千葉県内だけで死者9名、行方不明1名、重傷者1名(28日午前10時千葉県発表)をだす、たいへんな被害をもたらしました。

 がけ崩れなどによる住宅の全壊は6棟、半壊2棟、一部損壊1棟。床上浸水は526棟、床下浸水711棟とのことです。

 台風15号、19号に続く文字通り追い撃ちの被害は、千葉県としては、近年にないものになりました。

 住宅の全壊は、台風15号が269棟、19号が9棟、25日の大雨と合わせて284棟に達しました。しかし、半壊が15号で2550棟、19号で27棟あります。そこへこの大雨が襲いかかったのです。一部損壊は、15号で47474棟です。19号でも、840棟あります。そこにも、この大雨が降り注ぎました。

 被害は、さらに拡大していると見なければなりません。しかし、「被災者生活再建支援制度」が適用されるのは、全壊、あるいは解体、そして大規模半壊まで。しかも全壊で、基礎支援金が100万円、新居の建設・購入で200万円、最大でも合わせて300万円でしかありません。大規模半壊で補修した場合は、最大で150万円です。

 支援限度額の引き上げや支援対象の拡大、生業維持への支援等、「被災者生活再建支援制度」の改善は急務ですが、被害の実情に合わせて柔軟に適用させていくことも重要です。自治体独自の支援策の拡充も求められます。

 災害の規模と頻度が、従来とは違ってきている状況をみるとき、日常的な災害対策の組織が必要になっているのかもしれません。「全国災対連」(災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)の活動が注目されます。
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「平和・連帯の旅」その④、あこがれの桂林の風景を堪能

19.10.25

 治安維持法国賠同盟の「平和・連帯の旅」、最終日(18日)の桂林の報告が残っていました。

 山水画に描かれる桂林の風景にあこがれて、どれくらいの年月が経ったでしょうか。今回ようやく、訪れることができました。

 観光船での漓江下り。なんと所要時間が4時間半というから驚きです。船内は指定席。そこで昼食も出るのだとか。
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 落ち着いたら、3階のデッキへ。うすら寒いくらいのお天気でしたが、山水画の世界を味わうには、快晴よりこれくらいのほうがいいのだ、とのことでした。デッキで早速、記念撮影です。
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 観光船の上で団体の記念撮影というのも、珍しいとは思いましたが、百戦錬磨の治安維持法国賠同盟の仲間に、怖いものはありません。
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 一行のなかに、数年前にベトナム旅行で一緒だったIさんがいました。市民ランナーで、検見川の東大グランドに練習に来ていたとかで、私のポスターもよく見ていたとのことです。
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 佳境にさしかかると、デッキは国際色豊かなカメラマンでにぎやかです。
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 20元の中国紙幣の裏側に印刷されているのが、この桂林の風景。ここだと思うところでシャッターを切りましたが、どうでしょうか。
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 長い長い遊覧を終えて、陽朔埠頭というところで下船。そこの商店街を散策しました。おいしそうなものやどこにでもありそうな安いおもちゃも並んでいます。驚いたのは、ムカデを串にさして油で揚げたようなものが売ってました。やっぱりだれも買いませんでした。
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 桂林市内のホテルに戻り、最後の晩餐は、ホテルのなかで。ここでも大阪府本部のSさんが、プロ顔負けの司会で絶妙なリード。全員が感想を述べあい、その合間にSさんの奥さんのオカリナの伴奏で歌い、添乗員のTさんやガイドの耿さんに感謝をささげ、最後は「ガンバロー」の大合唱でした。
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 終わってみれば、あっという間の旅でしたが、知らなかった大事なことを学び、あこがれの風景を楽しみ、なにより同行の仲間たちとの親交を大いに深めることができました。
それにしても、かなりハードな日程にもかかわらず、全員が元気に帰国出来ました。お世話になりました。

日本共産党千葉県後援会の代表委員会

19.10.24

 今日は、日本共産党千葉県後援会の代表委員会。少し早めに到着すると、日本共産党千葉県委員会の館内に聞きなれた声が響いています。

 そういえばと思って、会議室を覗いてみると、「生活相談活動講座・交流会」の横断幕。講師を務めていたのは、わが花見川区の中村きみえ千葉市議でした。

 「相談者が連絡をしてくるときは、悩んで苦しんで切羽詰まって連絡してくるんです。だから、『忙しいから』などとこちら側の都合を優先してはダメなんです。」そんな言葉が耳に飛び込んできました。どんなに忙しい時でも、身を粉にして相談の対応に走り回っている中村議員ならではの言葉です。
DSC03311 (2).JPG   写真   講義する中村きみえ市議
 さて、千葉県後援会の代表委員会。例によって、会長の私にあいさつの指名。議題は当然、目前に迫った「2019年度総会」についての最終確認です。事務局長の小松敦さんの進行で、当日の流れ、議案の確認、会計報告や参加の確認、役割分担などなど、審議が進みます。

 当日は、先進的な後援会活動を展開している埼玉県から、事務局長の酒井隆三さんをお招きして、特別報告もしていただきます。大いに学びたいと思います。また、毎年取り組んでいる「前進座・観劇の集い」の関係で、今回は、前進座の俳優・河原崎國太郎さんがご挨拶をされます。

 千葉県後援会の活動は、まだまだの感がありますが、来年1月の党大会を前に、また総選挙を控え、日本共産党の前進のために、また野党の「連合政権」をめざす段階に到達している「市民と野党の共闘」のいっそうの前進のために、力を発揮できる後援会へと発展させたいものです。

治安維持法国賠同盟銚子支部の総会

19.10.23


 今日は、治安維持法国賠同盟銚子支部の第2回総会。はるばる房総半島の東端まで、旅行気分で出かけました。

 総会に先立って、「日韓問題を考えるつどい」です。支部長の三浦真清さんがまずごあいさつ。すぐに、講演に入りました。
DSC03290 (2).JPG   写真   あいさつする三浦真清支部長(左)
 先月、地元の集いで使ったレジュメをそのまま流用。初めに「徴用工問題」について、「日韓請求権協定」でも「個人の請求権」は消滅していないこと、訴えられた企業側の和解への動きを政府が抑えつけてきたこと、などを関係者の発言で確認しました。

 続いて、日本政府が、とりわけ安倍政権がそうした態度をとる背景に侵略と植民地支配への無反省、歴史修正主義があるとして、「韓国併合」への道を、江華島事件から日清、日露の戦争とたどり、植民地下の朝鮮支配の実態について、憲兵警察に象徴される「武断政治」、民族の誇りを奪った「皇民化政策」、さらに労働動員・強制連行、慰安婦問題などについて、お話ししました。
DSC03308 (2).JPG   写真   講演する小松実(右)
 こうした負の歴史を正面から受け止め、本気の謝罪・賠償をしてこそ、憲法の前文にあるように「国際社会において名誉ある地位を占め」る第一歩を踏み出すことになるのに、敗戦直後から「鉄道や港が築かれた。いい部面もあった。」などとするいわゆる「植民地支配美化論」が横行し続けてきた歴史にも触れました。ドイツのシュタインマイヤー大統領が今年9月、ヒトラーのポーランド侵攻80年の式典に出席して「ドイツの暴虐によるポーランドの犠牲者に深くこうべをたれる。許しを請う。」と謝罪したことにも触れ、日本政府がこうした真摯な態度を取ることができたら、問題は一気に解決するはずだと強調し、政治を変えることの重要性を訴えました。

 与えられた1時間を少しオーバーしましたが、その後、質問や意見交換。「こういう学習、意見交換の場が大事だ」と、三浦支部長さんのまとめの言葉です。

 その後の総会では、500筆の国会請願署名、新たに10人の会員拡大、県本部が発行する「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」の20部普及、飯島喜美の地元・旭市で玉川寛治さん、藤田廣登さんを招いての講演会を開きたい、などが提起され、了承されました。会員から「支部のニュースを発行して、活動の様子を知らせてほしい」との要望が出され、三浦支部長が実現を約束しました。

 発足して1年。銚子支部の着実な歩みに敬意を表したいと思います。

治安維持法国賠同盟が忙しい

19.10.22


 昨日は、治安維持法国賠同盟千葉市支部の役員会。

 会員拡大や国会請願署名の到達状況などを確認。また、同盟千葉県本部理事でもある藤田廣登さんの「時代の証言者 伊藤千代子」を原作とする劇映画「伊藤千代子の生涯」(2020年12月完成予定)の上映債権(1口10万円)を購入し、制作支援と上映会成功をめざして活動することなどを決めました。

 今日は、同盟千葉県本部の理事会。

 やはり県本部理事でもある玉川寛治さんの「飯島喜美の不屈の青春」に続く、同盟千葉県本部の出版物・土井洋彦さん(日本共産党中央委員会幹部会委員、学術・文化委員会責任者)の「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」が、いよいよ発行にこぎつけたこと。11月4日の「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会にはお披露目ができる運びで、大いに普及をめざそうということなどを決めました。
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 明日は、同盟銚子支部の総会。

 総会に先立って、「日韓問題を考える」ということで、1時間ほど講演をすることになっています。日韓問題を研究してきたわけではないし、もちろん専門家ではないのですが、この間、地元の集いなどでお話ししてきたのが目にとまり、お呼びがかかりました。総会では、県本部会長としての来賓あいさつも要請されています。一人二役で、頑張ってこようと思います。
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 このところ連日、国賠同盟の仕事が続きますが、明後日は、日本共産党千葉県後援会の代表委員会。こちらも、29日の総会を控えて、大事な会議になります。

「平和・連帯の旅」その③・731部隊の細菌戦の現場・常徳へ

19.10.21

 昨夜のうちにバスで常徳市へ移動。明けて16日、ホテル近くの弁護士事務所「湖南博集律師事務所」に向かいました。旧日本軍731部隊による細菌戦の被害を調査・研究している弁護士事務所です。

 事務所に入ると左手の壁いっぱいのスクリーンに「熱烈歓迎 治安維持法国家賠償要求同盟」の文字。
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 双方の代表のあいさつのあと、さっそく被害者・遺族の方々からの証言を聴きました。最初は、徐万智さん。1941年11月4日、徐さんの町に細菌弾が投下されました。徐さんは当時、まだ赤ん坊。家族や知り合いから、当時の悲惨な状況を何度も聞かされて育ったのでしょう。

 その日、日本軍の飛行機が徐さんたちの町の上空を2回ほど旋回。爆撃はなく、細かな布のようなものを撒いていったといいます。その後、市民の間に、原因不明の病が流行り出します。当局からは、死体を火葬するように指示が出たといいますが、当時は土葬の習慣が根強く、したがって郊外にも病気は広がっていくことになりました。
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 2年後、徐さんの父親も感染。原因がわからず、対応策もなかったといいます。高熱を発し、のどの渇きを訴え、やがて意識を失い死亡しました。おじやいとこも同様に、鼻や口から出血して亡くなりました。兄も、看病していた祖母も感染し、死亡。徐さん自身も感染しましたが、看る人もなく、叔父の家に引き取られたそうです。

 淡々と話していた徐さんの声が一段と高くなり、涙を流し始めました。「日本政府は、事実を認めないし、謝罪もしていない。人間として、理解できない。」怒りの涙でした。「ぜひ、日本に帰って伝えてほしい。」徐さんの振り絞るような訴えでした。

 続いて報告に立ったのは、丁徳望さん。86歳だといいますから、当時は8歳から9歳だったのでしょう。自宅は、市内から50キロほど離れていたといいますが、父親が感染して亡くなりました。父親は、1942年9月、家族の結婚式に出席して感染、わずか3日後に亡くなったといいます。7人家族唯一の働き手で、40歳だったそうです。
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 丁さんは、2001年に訪日し、裁判で証言もしたといいます。判決では、7643人の被害者数を認めたものの、日本政府には、何らの動きもないといいます。「生きている限りたたかう」丁さんは、静かに決意を述べて結びました。

 さらに、易友喜さん。まだ56歳という若さですが、被害者の遺族で「常徳市日軍細菌戦受害者協会」の職員だとのことです。「協会」の本部が、この弁護士事務所のようです。易さんの祖父も、葬式に参列して感染、他の8人とともに亡くなったとのことです。
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 小柄ですが精悍な感じのする弁護士事務所の所長さんから、細菌戦被害の全体像などの説明がありました。「4/11朝目的方向ノ天候良好ノ報ニ接シ・・・○五三○出発 ○六五○到着 霧深シ・・・層雲アリシ為一○○○m以下ニテ実施ス(増田少佐操縦・・・20/11頃猛烈ナル『ペスト』流行、各戦区ヨリ衛生材料ヲ収集シアリ・・・」などと、細菌戦を報告する11月25日付の「井本日誌」なども紹介されました。
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 その後、場所を移して被害者のみなさんとともに昼食、懇親を深めました。徐さんの隣に座って、片言で、それでもほんの少しだけ意思が通じたのは、何ともうれしいことでした。
DSC03083 (2).JPG   写真   中央、帽子の人が徐さん
 昼食後は、感染による初の死者を看取り、それが「ペスト菌」によるものだと明らかにした「広徳医院」の跡(今は、立派な「常徳市救急センター」になっていました)や、日本軍と熾烈な戦闘を展開した国民党軍の「常徳会戦抗日記念碑」、今も残るトーチカを見学したりしました。
DSC03101 (2).JPG   写真   日本軍との熾烈な戦いをした国民党軍の記念碑
 731部隊については、その凄惨な人体実験や、戦後、その資料を米軍に提供することで罪を免れ、医学界で重きをなしていった人間たちのいたことは知っていましたが、実戦による被害の実態にふれたのは初めてでした。

 加害の歴史が、ほとんど知らされていないというのは、国際的な付き合いをしていくうえで、本当に恥ずかしいことだし、また、この国の平和と人権、民主主義を守り、育てていくうえで決定的な弱点になるものだと思います。知り、学び、伝えるその仕事に少しでも役立ちたい、そんな思いを強くしました。

南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウ「惨案遇難記念館」へ

19.10.20


 とにかく中国は広くてデカい。14日夕方、成田から約3時間半のフライトで上海へ。到着が現地時間の午後7時25分。時差は1時間。そこで、関西空港からの一行、中部国際空港からの一行と合流です。そこから21時40分発の飛行機で、約2時間、湖南省・長沙の空港に着いたのは、真夜中でした。

 翌朝、窓を開けて小雨に煙る街並みを見下ろしました。宿泊したホテルを含めて、立ち並ぶ高層ビル群は、5月の南京でも体験済み。慌ただしく支度を整え、最初の訪問先である旧日本軍による南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウの「惨案遇難記念館」へとバスで向かいました。移動時間がなんと3時間余。
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 記念館入口の看板には、「国家級」の文字。国レベルの施設であることがわかります。
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 入ると、すぐに「はじめに」と、日本語でも書かれた案内板がありました。「・・・中国侵略日本軍は、1943年5月9日から11日(に)かけ、国際条約を公然とやぶり、ショウコウ地区において武器を捨てた中国兵や非武装の民間人3万人余りをほしいままに虐殺した。また2千人以上の女性を強姦し、・・・」とあります。揚子江の水運を確保するための江南殲滅作戦といわれるもので、この地方の国民党軍を殲滅する過程で、民間人も無差別に虐殺したとのことです。
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 恥ずかしながら、この大量虐殺事件を今回訪問するまで、私は知りませんでした。しかし、旅行社が用意してくれた事前学習資料には、2015年2月1日から3日にかけて3回連続で、この現場を訪ねた小林拓也さんの記事が掲載されていました。多分、読んだのに記憶から抜けてしまったのでしょう。その記事にも、「農村で起きた事件で、南京と違い外国人の目撃者もなく、中国国内でもほとんど知られていませんでした。」とありました。

 展示を見ていくと、旧日本軍のあまりの残虐な行為に胸が締め付けられるような思いがしてきます。虐殺の様子を書いた日本兵の陣中日記もありました。しかし、救われたのは、しんぶん赤旗が「幸存者」から聞き取りをしたときの取材写真も展示されていたことです。そして、「あっ!」と驚きました。なんとそこに、わが県議団の事務局で働いていた“あっこちゃん”が写っているではありませんか。左の写真には、聞き取りをするご主人の小林拓也さん、そして、右側の写真の左側に、ポニーテールのあっこちゃん。思わず「あっ、あっこちゃんだ!」と、大きな声を出しました。同行の人たちが「えっ、知ってる人?」
「どれどれ?」「どの人?」近づいてきました。あっこちゃんは、中国語の高度な通訳のための研修にきたご主人とともに中国へ渡っていました。こんなところで、元気なあっこちゃんの姿に出会うとは・・・。不思議な感動を味わいました。
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 展示の見学が終わると、館長さんや「幸存者」のみなさんとの交流です。「幸存者」の一人、1926年生まれの全さんは、村の人たちが、日本軍から逃れるために川に数百もの小舟を浮かべたとき、日本軍の飛行機が来襲して、爆弾と機関銃で次々と虐殺した目撃談を語りました。川は死体で埋まり、水は血で真っ赤になったと言います。記念館脇の川べりには、「血水河」と書いた碑が立っていました。
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 その後、記念館のすぐ近くにある記念塔に参拝。みんなで黄色い菊の花を献花しました。
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 続きは、また後日。

治安維持法国賠同盟の「平和・連帯の旅」に参加してきました

19.10.19


 治安維持法国賠同盟中央本部主催の「中国湖南省・桂林 平和・連帯の旅」に14日から参加し、先ほど帰ってきました。

 旧日本軍によって、南京大虐殺に次ぐ3万人もの大量虐殺が行われた廠コウ(パソコンでは、漢字が出てこない。ショウコウ)の記念館を訪問し、館長や「幸存者」(幸いにして生き残った方)から、直接、体験を聴いたり、また、同じ湖南省の常徳市にある弁護士事務所を訪問し、731部隊による細菌戦の被害者から体験談を聴いたり、交流を深めてきました。
DSC03035.JPG   写真   湖南省・ショウコウの虐殺記念館(「ショウコウ惨案遇難記念館」)前で
 最後の日には、あこがれの桂林を訪問。遊覧船で漓江(りこう)を下り、山水画に描かれた世界をたっぷり堪能してきました。

 6日間の旅ですが、往路と復路が、それぞれ一日がかりでしたので、実質4日間。それでも、侵略のおぞましい加害の実態を目の当たりにし、まだまだ日本では知られていない加害の事実・歴史をしっかりと学び、広げていく活動の重要性を再認識しました。

 そして、そうした活動に力を注ぐことも、侵略と加害の事実を認めようとせず、歴史の改ざんをもっぱらとする安倍政権と真っ向から対決する治安維持法国賠同盟のもう一つの重大な責務であろうかと思います。

 詳細は、追って報告したいと思います。

“渡政”没後91年、墓前祭と語り合うつどい

19.10.13

 台風一過。今日は、戦前、日本共産党委員長も務めた渡辺政之輔の墓前祭。渡政は、市川市の安国院に、母親のてうさんとともに葬られています。
DSC02955 (2).JPG 写真  渡政とお母さんの墓  
 少し早めに着いたので、江戸川の様子を見ようと、近くの土手に上がって驚きました。真っ青な空を背景に、濁流が音を立てて流れています。おそらくは普段の倍以上の川幅になっているのではないかと思われます。被害を受けた皆さんには、心からお見舞い申し上げます。
DSC02952.JPG  写真  河川敷を覆って流れる江戸川の濁流
 さて、安国院には、地元の「渡辺政之輔をしのぶ会」のみなさんをはじめ、参会者が汗を拭きふき集まってきます。定刻になって、お線香を手に順にお参り。
DSC02958 (2).JPG  写真  お線香を手に順にお参り 
 恒例ですが、お墓の脇でちょっとした集いを開きます。治安維持法国賠同盟県本部を代表して、私から一言ごあいさつをさせていただきました。毎年、地元のみなさんの努力で、こうして墓前祭が営まれていることに、まず敬意を表明しました。また、昨年の没後90周年記念の土井洋彦さんの講演をもとにした「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」と題するブックレットが、間もなく出版の運びで、11月4日の「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会で販売できるのではないかと普及への協力をお願いしました。さらに、改憲に執念を燃やす安倍政権の背景に、侵略戦争と植民地支配、そのための思想と人権抑圧の弾圧体制への無反省、歴史の改ざんがあるとして、それと真っ向からたたかう治安維持法国賠同盟が、さらに大きく発展することが求められている、との趣旨でお話ししました。
DSC02961 (2).JPG  写真  参会者を前に挨拶する小松実
 その後、場所を移して「渡辺政之輔を語り合うつどい」が行われました。大銀行で賃金差別撤回に立ち上がった女性行員たちのたたかいを描いた「女たちの曠野」(新日本出版社)の作家・山形暁子さんが司会。治安維持法国賠同盟千葉県本部の理事でもある藤田廣登さんが「多喜二は、渡辺政之輔と南葛労働会をどう描いたか」と題して講演しました。
DSC02966 (2).JPG  写真   渡政を語り合うつどい。司会の山形暁子さん
 多喜二が東京に出てきたときには、すでに渡政は亡くなっていましたが、真っ先に訪れたのが、当時日本の階級的労働運動の中心地・南葛の亀戸でした。そのとき、亀戸天神の太鼓橋で写した写真が残っています。一緒に写っているのが、野田律太。写真を撮ったのは貴司山治だとのこと。二人とも、南葛労働運動の中心メンバーです。
DSC02969 (2).JPG  写真  講演する藤田廣登さん
 多喜二の「党生活者」には、「私はフト『渡政』のことを思い出した。渡政が『潜ぐ』ったとき、彼のお母さんは(お母さんはいま渡政ばかりではなく、全プロレタリアートのお母さんであるが)『政とはモウ会えないのだろうか』同志に聞いた。同志の人たちは、『会えないのだ』ということをお母さんに云ったそうである。」という一節があるそうです。「党生活者」は、何度か読んでいるはずなのに、今日、藤田さんから聞くまでは、まったく記憶にありませんでした。

 その他にも、「壁に貼られた写真」「転形期の人々」「地区の人々」などに、“渡政”“南葛労働者”“南葛魂”などの言葉が出てくるとのことです。やはり、気に留めることもなく読み過ごしていました。

 知れば知るほど、渡政や多喜二が身近になってきます。勉強になりました。

治安維持法国賠同盟の中央常任理事会

19.10.10

 昨日の三役会議に引き続き、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の中央常任理事会が今日開かれ、参加してきました。会場の全労連会館には、全国から約50人の中央常任理事が参集。活発な議論が展開されました。

 冒頭、あいさつに立った増本一彦会長は、安倍政権の改憲の野望を厳しく告発したうえで、「市民と野党の共同」をさらに強化・発展させて「国民連合政権」の実現に貢献しようと訴えました。さらに、2020年代は治安維持法犠牲者等が侵略戦争と暗黒政治に抵抗し、平和と国民主権の実現をめざして不屈にたたかい抜いた時代から100年になると指摘。この歴史的時代を、「治安維持法体制による平和・民主主義・人権破壊の時代の総決算の時代」と捉え、その先頭に立つ自力をもった同盟に発展させようと訴えました。
DSC02941 (2).JPG  写真  あいさつする増本一彦会長
 続いて田中幹夫事務局長が報告と提案を行いました。田中事務局長は、安倍政権が「改憲突破体制」ともいうべき、人事体制を敷いて改憲への執念を露わにしていることに警鐘を鳴らすとともに、消費税の10%への増税強行に厳しい抗議を表明。同時に、世論調査では、「安倍首相のもとでの改憲」に反対が多数を占めていることや、「消費税増税後の日本経済の先行き」に圧倒的多数の国民が不安を感じていることも指摘、来るべき総選挙での野党連合政権実現への期待と同盟の役割を強調しました。
DSC02943 (2).JPG  写真  報告する田中幹夫事務局長
 また、国会請願署名や組織建設、学習・顕彰活動等、同盟活動の現状報告と課題を提起、女性交流集会や国際活動等々、強調点を報告しました。

 さらに、榎本よう子財政部長が、上半期の財政状況について報告し、昼食休憩に入りました。

 午後の討論では、休憩を挟んで18人が発言。内容は、各県の組織建設や署名の取り組み、北海道や中国地方など各ブロックでの交流集会の取り組みや女性部の取り組み、財政活動への提起、あるいは、日韓関係に鑑み、韓国・満州などでの治安維持法犠牲者についての研究・顕彰が必要ではないか、などなど多岐にわたるものでした。
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DSC02948 (2).JPG  写真   討論の様子
 三役でのまとめのための打ち合わせを踏まえ、田中幹夫事務局長が討論のまとめを行ないました。全国各地の意気高い精力的な活動に、心からの敬意を表明するとともに、千葉県本部もこれらに学んで、さらに活発な活動を展開したいと思います。

「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会、一部内容変更ですが、ぜひ!

19.10.07

 9月26日付で、お知らせした「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会。講師に予定していた日本共産党副委員長の広井暢子さんが、党務(第8回中央委員会総会)の関係で、来られなくなりました。たいへん残念なことですが、実行委員会で検討した結果、講師を変更したうえで、予定通り実施することになりました。

 急遽、Sさんにお願いして、チラシも作りなおしていただきました。
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 「飯島喜美の不屈の青春」(玉川寛治著・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部発行)は、24歳の若さで獄死した千葉県出身の女性活動家・飯島喜美の初の本格的評伝として、6月の発刊以来、たいへんな好評をいただき、早くも「第二刷」の計画が進んでいます。

 当日は、著者の玉川寛治さんに「飯島喜美の不屈の青春」と題して講演をいただきます。出版に至る経過や苦心された点を含め、飯島喜美の不屈のたたかいから私たちが何を学ぶべきかを、今の政治状況とのかかわりの中で明らかにしてくれるのではないかと思います。

 同時に、やはり私たち同盟の千葉県本部理事でもある藤田廣登さんに「黎明期革命運動の地平を拓いた女性群像――伊藤千代子・飯島喜美・・・」と題して、講演していただきます。
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 伊藤千代子は、あの歌人・土屋文明の教え子で、治安維持法違反により検挙、市ヶ谷刑務所での1年余の拘禁生活と夫の変節などから一時的な精神錯乱に陥り、1929年9月、24歳の若さで命を失いました。死因は、肺炎だったといいます。

千代子の死の知らせを受けた土屋文明は、「こころざしつつたふれし少女(をとめ)よ 新しい光の中におきておもはむ」という有名な歌を詠みました。

 講演いただく藤田さんは、伊藤千代子の研究家として、講演などで全国を駆け回っている方で、このほど著書の「時代の証言者 伊藤千代子」の映画化が決定。私たちもその成功に向けて全力で応援したいと思っています。

 講演会の日時に変更はありません。11月4日(月・祝)午後1時開会、3時まで。千葉市生涯学習センタ―3階の大研修室です。ぜひ一人でも多くの方に、ご参加いただければと思います。お待ちしています。

飲んで、食べて、花見川区日本共産党後援会の日帰り旅行

19.10.06

 今日は、花見川区日本共産党後援会の秋の日帰り旅行。「佐原街並み散策&香取神宮参拝」ということで、バス2台に分乗して出かけました。途中のサービスエリアで、2台のバスが合流。寺尾さとし前県議と私は、中村きみえ市議地域のバスからもりた真弓市議地域のバスへと乗り換えて、ごあいさつをさせていただきました。
DSC02883 (2).JPG 写真  あいさつする寺尾さとし前県議 
DSC02908 (2).JPG 写真  あいさつする小松実   
 まず最初の訪問先は、造り酒屋の「東薫酒造」。バスごとに酒造りの工程を見学し、説明を聞き、まだ昼前の早い時間から、試飲です。最初に飲んだ甘酒がおいしかった。
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 皆さんわんさかお土産を調達して、バスへ置いたら、そのまま佐原の街の散策に出かけました。地図を頼りに伊能忠敬記念館へ。試飲が効いているのか、なんだかよくわからないままそこを出ると、目の前は小野川の遊覧船の乗船場。すでにわが後援会員さんたちが乗り込んでいます。

 「あと二人!」という呼び声に、中村きみえ市議と二人、駆け込むように乗船。大声でしゃべり、笑い、散策の人たちに手を振り、言葉を交わすなどしながら、約30分の遊覧を楽しみました。
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 船から上がると、そこが伊能忠敬の旧宅。伊能忠敬が30年余りを過ごした江戸時代の店舗や表門、土蔵がそのまま残されています。無料で開放されているのも驚きでした。
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 さて、昼食。「潮来富士屋ホテル開花亭」とやらで、それなりのお弁当が用意されていました。斉藤和子前衆議院議員からのメッセージが紹介された後、伊藤二悦後援会長の音頭でまずは乾杯。鯉の洗いや天ぷら、野菜の煮物などをおいしくいただきました。
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 道の駅ならぬ川の駅「水の郷さわら」によって、用足しやらお買い物。最後の訪問先、香取神宮に向かいました。

 鳥居の前でバスごとに記念撮影。緩いのぼりの参道を歩いて拝殿へ。帰りには、おいしそうな草餅のだんごの前を素通りできずに、買ってきました。
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 毎年の行事ですが、準備はたいへんだろうと思います。参加者の楽しそうな様子が何よりのねぎらいになるのでしょうが、役員さんたちの献身に心から感謝です。

消費税10%に抗議、5%への引き下げ求め宣伝・署名行動

19.10.01

 国民の強い反対と不安の声を無視して安倍政権は今日、消費税の10%への引き上げを強行しました。

 日本共産党は、大増税に満身の怒りを込めて強く抗議し、暮らしと経済・景気を回復するうえでも消費税率を5%へと引き下げる提案・呼びかけ(「消費税減税・廃止を求める新たなたたかいを呼びかけます」)を行いました。

 私たちも地域から声をあげていこうと、今日夕方から、JR幕張駅南口で、宣伝と署名行動に取り組みました。
DSC02871 (2).JPG 写真  訴える寺尾さとし前県議(右)  
 宣伝では、寺尾さとし前県議、中村きみえ市議を先頭に、私もマイクを握って訴えました。

 消費税が導入されて31年目になりますが、導入のときも税率引き上げのときも、決まって声高に叫ばれたのは、「高齢化社会のため」「福祉のため」ということでした。しかし導入以来、社会保障は、貧しくなる一方です。高齢者はますます不安を募らせています。消費税が社会保障のためなどではなかったことは明らかです。では、導入以来、総額397兆円にもなる消費税は、いったいどこへ消えたのか。
DSC02876 (2).JPG  写真  訴える中村きみえ市議
 消費税導入以来とほぼ同じ期間に、なんと企業が納める税金・法人3税が298兆円も減っている。所得税・住民税も275兆円減っているというのです。原因は、法人税率の引き下げや大企業向けの優遇税制、所得税の最高税率の引き下げや大株主優遇の証券税制などにあります。何のことはない。庶民のふところから吸い上げた税収で、大企業や富裕層を潤してきた、ということです。

 そもそも8%への大増税の痛手から、庶民の暮らし・家計消費は回復していません。増税前と比べて年間20万円以上も落ち込んでいるといいます。実質賃金も年15万円も落ち込んでいます。その結果、日本は、経済成長できない国になっています。1997年から2017年の間に、各国のGDP(国内総生産)は、アメリカが227%、イギリス・170%、フランス・178%、ドイツが166%伸びているのに対し、わが日本は110%にとどまっています。
DSC02879 (2).JPG 写真  訴える小松実  
 GDPの大きな部分を占めているのは国民の個人消費です。そこを痛めつけるようなことが連続して行われてきた、その結果です。

 日本共産党は、財源案も示して、5%への消費税率の引き下げを提案し、新たな署名運動も始めました。他の野党にも共闘を呼び掛けています。

 今日の宣伝・署名行動には、11人が参加。署名も27筆が集まりました。引き続き、頑張りたいと思います。