南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウ「惨案遇難記念館」へ

19.10.20


 とにかく中国は広くてデカい。14日夕方、成田から約3時間半のフライトで上海へ。到着が現地時間の午後7時25分。時差は1時間。そこで、関西空港からの一行、中部国際空港からの一行と合流です。そこから21時40分発の飛行機で、約2時間、湖南省・長沙の空港に着いたのは、真夜中でした。

 翌朝、窓を開けて小雨に煙る街並みを見下ろしました。宿泊したホテルを含めて、立ち並ぶ高層ビル群は、5月の南京でも体験済み。慌ただしく支度を整え、最初の訪問先である旧日本軍による南京に次ぐ大虐殺の現場、ショウコウの「惨案遇難記念館」へとバスで向かいました。移動時間がなんと3時間余。
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 記念館入口の看板には、「国家級」の文字。国レベルの施設であることがわかります。
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 入ると、すぐに「はじめに」と、日本語でも書かれた案内板がありました。「・・・中国侵略日本軍は、1943年5月9日から11日(に)かけ、国際条約を公然とやぶり、ショウコウ地区において武器を捨てた中国兵や非武装の民間人3万人余りをほしいままに虐殺した。また2千人以上の女性を強姦し、・・・」とあります。揚子江の水運を確保するための江南殲滅作戦といわれるもので、この地方の国民党軍を殲滅する過程で、民間人も無差別に虐殺したとのことです。
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 恥ずかしながら、この大量虐殺事件を今回訪問するまで、私は知りませんでした。しかし、旅行社が用意してくれた事前学習資料には、2015年2月1日から3日にかけて3回連続で、この現場を訪ねた小林拓也さんの記事が掲載されていました。多分、読んだのに記憶から抜けてしまったのでしょう。その記事にも、「農村で起きた事件で、南京と違い外国人の目撃者もなく、中国国内でもほとんど知られていませんでした。」とありました。

 展示を見ていくと、旧日本軍のあまりの残虐な行為に胸が締め付けられるような思いがしてきます。虐殺の様子を書いた日本兵の陣中日記もありました。しかし、救われたのは、しんぶん赤旗が「幸存者」から聞き取りをしたときの取材写真も展示されていたことです。そして、「あっ!」と驚きました。なんとそこに、わが県議団の事務局で働いていた“あっこちゃん”が写っているではありませんか。左の写真には、聞き取りをするご主人の小林拓也さん、そして、右側の写真の左側に、ポニーテールのあっこちゃん。思わず「あっ、あっこちゃんだ!」と、大きな声を出しました。同行の人たちが「えっ、知ってる人?」
「どれどれ?」「どの人?」近づいてきました。あっこちゃんは、中国語の高度な通訳のための研修にきたご主人とともに中国へ渡っていました。こんなところで、元気なあっこちゃんの姿に出会うとは・・・。不思議な感動を味わいました。
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 展示の見学が終わると、館長さんや「幸存者」のみなさんとの交流です。「幸存者」の一人、1926年生まれの全さんは、村の人たちが、日本軍から逃れるために川に数百もの小舟を浮かべたとき、日本軍の飛行機が来襲して、爆弾と機関銃で次々と虐殺した目撃談を語りました。川は死体で埋まり、水は血で真っ赤になったと言います。記念館脇の川べりには、「血水河」と書いた碑が立っていました。
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 その後、記念館のすぐ近くにある記念塔に参拝。みんなで黄色い菊の花を献花しました。
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 続きは、また後日。