治安維持法国賠同盟の作業や会議、杉浦正男さんのことなど

 今日は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関誌「不屈」の発送作業。千葉県本部のある民医連事務センターに6人が参集、午前中にほぼ作業を終了することができました。

 午後からは、県本部の三役会議。小松敦事務局次長のリードで、この間の組織拡大や国会請願署名の成果を確認、財政の現状や今後の取り組みについて、協議しました。

 梅雨入りとかで雲行きが怪しくなってきた夕方、家に帰ってパソコンを開くと、県本部の理事でもある藤田廣登さんからメールが入っていました。

 新型コロナの影響で、訪問が叶わなかった杉浦正男さんを久しぶりに訪ねたということで、お元気そうな杉浦さんの写真も添付されていました。
20200610150103.jpg   杉浦正男さんの近影
 杉浦さんは、1914年生まれ。この8月20日に106歳になられます。千葉県内でただ一人となった治安維持法による弾圧の犠牲者です。杉浦さんは、治安維持法が猛威を振るっていた戦前・戦中、労働組合が「産業報国会」になだれ込んでいくなかで、「出版工俱楽部」を立ち上げます。それは、次代のたたかいを担う若い人たちを組織する、文字通り「種まく」活動でした。1940年には、1500人からの労働者を組織したといいます。

 しかし、あの小林多喜二などを虐殺した特高(特別高等警察)が、これを見逃すはずもなく、杉浦さんも1942年に逮捕。激しい拷問を加えられたといいます。1945年、ポツダム宣言を受諾した後も、時の政府は、思想犯を獄につないだまま。杉浦さんの出獄は、終戦から2か月を経た10月のことでした。

 戦後、杉浦さんは、全日本印刷出版労働組合を結成、書記長を務めながら階級的労働組合「産別会議」の中心として活動します。「産別会議」解散時には、その財産を平和と労働運動に役立てようと、「平和と労働会館」建設に尽力します。それは今、「平和と労働センター・全労連会館」へと引き継がれています。

 8月20日のお誕生日には、藤田さんにご案内いただいて、ぜひお伺いしたいと思っています。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 7

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント